5月26日のメッセージセルフチェック

「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」 (箴言 19:21)
  I 歴代誌 28:1-11 / 2 サムエル記 7
 ダビデ王の心には主の契約の箱を置くための宮を建てたいという望みがありました。長い間、彼は宮をエルサレムに建てたいという志をもっていた彼は、具体的に様々な準備もしました。
しかし神は「だめだ」と、仰せられました。なぜならダビデは戦士であり、彼の手は多くの血にまみれていたからです。
ダビデは自分の人生の中に建てていた自分の計画を変えなければなりませんでしたが、その時ダビデはまず神がそれまでの人生の中でしてくださったことを思い返し、神に感謝を捧げ、「自分の望むところの計画」よりも、「神の目的」を信頼しました。
 

神の目的により、あなたの望む自分の計画が潰される時、あなたは何をしますか?
「自分の夢」よりも神の目的に従おうという気持ちがあなたにはありますか?
そして、あなたが自分で思っている自分の夢よりも、神の目的はそれを超えた大きな、大いなるものであると、あなたは思えるでしょうか?

5月19日のメッセージセルフチェック

2 サムエル記12章ー19章

 「わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」 (箴言 15:16,17)
ダビデは王としては多くの成功を治めた人でしたが、自分の家庭を治めることのできない人でした。家族生活は混乱の連続で、そして家族の中のそんな状況が増々ダビデの目を家族以外の事に向けさせたのかもしれません。あなたの人生にもそのようなことが起きていませんか? 外の生活は成功しているが、家の中は混乱している.....。真の、一時的でない成功、平安、喜び、そのようなものは家の中で始まるのです。まずあなたの配偶者に心を配りましょう!
あなたの配偶者に対して、誠実であり、恵み深くあり、理解(賛同とは違います)に努め、親切であり、思いやりを持ち、愛そうとする気持ちを持ちなさい。あなたの配偶者に対して、イエスのようでありなさい。神の家族にあっては、 あなたの両親とは天の父でありイエスです。神の家族にあっては、あなたの模範とはあなたの親であるイエスなのです。イエスのように愛しなさい、という言葉はあなたにとっての「オススメ」ではなく、神様の命令なのです。

「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」 (箴言 22:6)
あなたは人の親でしょうか?いつか子供を持つかもしれませんか? もしそうなら、子供を持つということは、多くの働きと高い覚悟が必要だということを知っていてください。神様を信じて生きるということはどういうことなのか、それを知るには両親の関わりが必要だからです。それは時間の掛かることであり、他の近道や楽な方法などありません。 両親は、子供に対して良くも悪くも大きな影響を与えます。 父親と母親がお互いをどのように扱い、どのような態度で接し合っているかが、子供に最大の影響を与えることのできる方法の1つです。 箴言22:6の言葉は、子供はいつまでも子供ではなく大人になるのだ、ということを再確認させます。あなたは子供たちに「どのような大人」になって欲しいと望みますか?あなたには非常に大きな責任があり、この世界をもっと良い世界にする素晴らしい機会も与えられているのです!

愛ちゃん洗礼おめでとう!!

ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。
(使徒の働き8章35節ー38節)

5月12日のメッセージセルフチェック

主はこう仰せられる。「あなたは隠れて、それをしたがわたしはイスラエル全部の前で、太陽の前でこのことを行おう。」ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたを赦してくださった。あなたは死なない。」
 2サムエル記 12:12/ 箴言 14:4/ 伝道者の書 11:4-6.


PART1) 神は、あなたと安っぽい駆け引きゲームをすることに興味はありません。神は怒るのに遅く、すぐに赦してくださろうとします。神は悪い行いを裁きます。それは、罪を犯した人にすぐに悔い改めを求めるということであって、罪を除こうとする、ということです。主の前に自ら差し出すべき隠された罪はありませんか?神はあなたにいつでも神の御前で清くあって欲しいと望んでいます。 赦しも自由も、あなた次第で受け取ることができます。

PART2) ダビデは言った。「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、主が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか?私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」 (2 サムエル記 12:22,23)

ダビデは神に「あなたの子は死ぬ」と言われて、ただ嘆き泣いて自分を憐れみ何もせずに座っていたわけではありません。自分の間違った行いに対する神の裁き、すなわち自分の子どもの死という決定ではあるけれども、断食をして何とか子どもを救ってはくれないかと主に泣き叫び懇願しました。ダビデの息子であるソロモンは箴言と伝道者の書において、この視点について書いています。 神がはっきりとその御心を示すまでは、ダビデは全ての可能な限りの選択肢全てにトライする気持ちをもっていました。そして痛く厳しい決定が神様によって下された時、ダビデは謙虚にそれを受け止め、神を賛美し、また人生のスタートを切ったのです。 日々の生活においても、ミニストリーにおいても、整った条件を待っていたら、何もできません。そして人生に何の実りも成らないでしょう。「これがうまくいくか、あれがうまくいくか、もしかしたらどちらもうまくいくかもしれない」という聖書の言葉の通りです。(伝道者の書 11:6)

5月12日 メッセージ

ヘンちゃん、社会貢献者表彰式

5月1日ヘンちゃん、表彰式にて。大槌で多くの子供達に「ヘンちゃん」と呼ばれ共に過ごした9か月がありました。
財団の方の挨拶で「名前は表彰式ということになっていますが、選ばれなかった方や人知れず多くの人々を助けた方、そういう方達が沢山います。この表彰式という1つのイベントは、そういう方達が居たのだ、居るのだということを後世に残していくためのものです.......」という言葉がありました。

5月5日のメッセージセルフチェック

“高ぶり(プライド)は破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ” (箴言 16:18)

2 サムエル記 11章
ダビデは成功をおさめ、物事を見極める視力を失います。次々と成功し続け、彼は力を手にし、自分には力があると考えるようになります。人間は成功によって不健全なプライドを持つことがあります。そして、「自分が欲しいと思うものを手にして何が悪いんだ」と考えるようになります。そして、自分の周りにいる人のことを、心をもつ人間としてではなく、ただ自分のために働く者として見るようになります。人を見る時に、その人は「ある父親にとっての大切な娘/息子」「誰かの大切な配偶者」「神が愛する神の子」ではなく、「一定の機能を果たす生きている物体」として人のことを見るようになるのです。その物体を自分の希望通りに支配し操作しようとするのです。
あなたの周りにいる人たちを見下し、自分の目的や自分の希望を果たすためにその人たちを何とかして操作しようとするようなことがないように気をつけなさい。
神はそれを喜ばないからです!

5月5日 メッセージ

2012.5.5 上からの眺め(約48分)

4月28日のメッセージセルフチェック

ダビデが言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか?私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。」 (2 サムエル記 9:1)
王は言った。「サウルの家の者で、まだ、だれかいないのか?私はその者に神の恵みを施したい。」(2 サムエル記 9:3)
 2 サムエル記 9/ 2 サムエル記 4:4

先週のメッセージでは、成功し更に栄えようとしている王ダビデ が、別れた大切な友人と交わした約束を守り抜いた姿を学びました。ヨナタンは死にましたが、ヨナタンにした約束は死んでいないのです。ダビデは、主が自分にした覚悟と約束をいつも覚えて、その約束はずっとダビデの人生において継続されています。
ダビデはヨナタンとの約束を、時や状況に関わらず、守り抜きます。ダビデは、自分が他者と共に体験した神の祝福を、更に他者と分かち合いたいという思いを持っています。
主の私たちへの揺るぎない覚悟を思う時、私たちは自分が主の前で約束し誓ったことを守り抜く決意をあらたにさせられるべきなのです。
イエスとイエスの教会、そしてイエスの栄光のためにイエスのことを伝えるようにと私たちに命じられている世界(人々)。あなたはこれらに対して覚悟を持ち続けるということを選びなさい。

4月28日 メッセージ