MERRY CHRITSTMAS!!


12月20日 メッセージセルフチェック


私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。(哀歌 3:21-24)

今週の聖書個所:マタイ1:18-25

メリークリスマス!私たちの主なるイエス・キリストの誕生を祝うときには、このイベントに伴う全ての事を楽しむと同時に、何にもまさる真の贈り物にいつも心を戻しましょう!イエス様こそが私たちへの贈り物であり、私たちの受ける分、そして私たちに与えられた神とともにある新しい命なのです。

「『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」(マタイ1:23)

これが、多くの天の軍勢が羊飼いたちの前に現れて神を賛美しながら「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」(ルカ2:14)と言った理由なのです。神様の御心とは―私たちへの愛と憐れみであり、それは12月25日だけでなく毎朝欠かすことなく新品のクリスマスプレゼントのように木の下に置かれているのです。毎日時間をとって神様が下さったあなたへの恵みの贈り物の包みを開けましょう!そのようにして、イエス様は自らを与え続けてくださるのです!

2014年12月20日 メッセージ

クリスマス礼拝 「開けられていない贈り物」

2014年12月13日 メッセージ

「権威と力」

12月6日のメッセージセルフチェック


そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」(マタイ26:38)イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。(ルカ22:45)

今週の聖書個所:マタイ26:31~46/ルカ22:32~46

ゲッセマネの園にいたイエス様と弟子たちは、魂の奥底にある悲しみに打ちひしがれていました。そして、イエス様は祈りの中で天の御父を求めましたが、弟子たちは眠ってしまいます。一回目は、弟子たちを起こして誘惑に陥らないよう祈りなさいと命じ、「心が燃えていても肉体は弱い」ということを教えたイエス様ですが、二回目にはもはや彼らを起こすことはせず祈りに戻りました。私たちも弟子たちと同じように、悲しい時に祈って主を求めるという自由が与えられているのです。あなたの心に重くのしかかっている事、あるいはそれほどでもないけれど心にひっかかっている事をほったらかして居眠りしてしまっているようなことはありませんか?イエス様に命じられた通りに祈って神様を求める事で、あなたは主の御心に集中できるようになります。またそうする事で、あなたは誘惑に陥らなくなるのです。   

2014年12月6日 メッセージ

「心は燃えていても」

11月29日のメッセージセルフチェック


私はあの事などを思い起こし、私の前で心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群衆とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。(詩編42編4節)

今週の聖書箇所:コロサイ4章2節/マタイ26章36-46節

パウロの強い勧めは、身をいれて祈り、その過程で目を覚ましていなさい、また神に感謝を捧げなさい、ということです。祈りへの集中は、私たちを目覚めさせ、人生の肉的な側面、霊的な側面の両方についての注意深さを与えます。これは、効果的な霊的訓練であり、物質的な世界を超えた霊的なものごとを理解し感じる力を与えます。そうして、行く手に待ち受ける危険や試練に気づき、適切に行動できるようになっていくのです。イエス様は父なる神とひとり向き合うことに時間を費やし、それによって来るべき大きな試練に魂をもって対峙することができました。その間、弟子たちは迫りくる危険に気づかず眠っていましたが!
眠りながらイエス様と歩むのはもうやめにしましょう。毎日時間を割いて、イエス様に感謝をもって語りかけるとともに、あなたの人生に対する神様の大いなる召しを妨害しようとする悪魔の企みをより注意深く警戒しましょう。魂の中に主のご臨在を感じるのは素晴らしいことです!

2014年11月29日 メッセージ

「用心深い祈り」

11月22日のメッセージセルフチェック

また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ5:18)

今週の聖書個所:Iペテロ5: 6-11 / エペソ5: 15-18 / マタイ 16:24.

パウロは私たちに、葡萄酒に酔うのではなく聖霊に満たされる事を選びなさいと注意しています。酔ってしまうことは放蕩をもたらすからですが、葡萄酒に限らず、どんなものでも人を酔いしれさせ、神様へとしっかりと心を向けるのを妨げることがあります。何か別の物で酔いしれてしまうかわりに聖霊様に満たされる事を選ぶというのは聖なる選択肢なのです。
その「別の物」とは、仕事かも知れないし、お金のこと、異性のこと、趣味、スポーツ、それともインターネットかもしれません。あるいは、ついつい心配ごとに夢中になってしまうこともあるかもしれません。あなたは、自由な時間を過ごす時にどんなことを考える傾向があるでしょうか?あなたが心を奪われているものは何ですか?あなたは何に飢え乾いていますか?あなたの神様でしょうか、それとも何か他のものでしょうか?
あなたは時折、自分自身を正直にチェックする必要があるでしょう。そうして、魂の乾きを癒すことのできるただ一人のお方にもう一度心を向け直しましょう!イエス様、聖霊、そして御言葉に。

2014年11月22日 メッセージ

「喉が渇いているか?」

11月15日のメッセージセルフチェック

兄弟たちよ。私は、すでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ3:13~14)
 

今週の聖書個所:ピリピ3:12~17

パウロの教えとともに、「思い煩いをいっさい神に委ねなさい」というペテロの勧めは、私たちが主の御心に従って謙虚にそして力強く歩み続けるために非常に重要です。私たちは大抵、自分の過去から学ぶというよりも、過去の中で生きる事を選んでしまいがちです。神様の御言葉は「私たちの思い煩いをいっさい神に委ねなさい」と言っていますが、それには、無論あなたの過去の栄光も、過去に受けた傷も含まれているのです。過去の成功や悲劇の中で生きるということは、今日ある神様の御心の中に移ろうとする私たちの歩みを止めさせたり、足手まといになるだけです。私たちの過去はやり直す事も取り消す事も出来ないのです。ですからイエスキリストを通して与えられた神様の素晴らしい恵みによって、私たちは謙虚に自分の重荷を神様に委ねましょう。神様は私たちの事を大切して下さっているのですから。神様は本当に私たちを気にかけて下さっているのです。

全てを委ね、神様のその思いを受け取りましょう!

11月8日のメッセージセルフチェック


みな互いに謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
(Iペテロ5:5~7)

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。(ヘブル12:1)

聖書には「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです」とあります。生まれつきの性質と戦うには、神様の権威に従ってそうするよりも、プライドをもって立ち上がりあなた自身がその責任を引き受ける方がはるかに力強いイメージがあります。
しかし、自分で自分の状況をコントロールしようとする事をやめられる強さがなければ、神様のやり方、神様のタイミングでその力強い御手の下に移ることはできません。それは私たちが自然にやりたいと思うようなことでも、力を奮い起こしてやってみようと思うような事でもないのです。
ヘブル書の著者がまとわりつく重荷を文字通り「かなぐり捨てろ」と言ったのは当然です。そのような重荷は、ちょうど宇宙から来た金属製の害虫の群があなたの肩にうようよとたかっているようなものだからです。何かに対する心配や不安は、多くの場合肩にまとわりつくエイリアンのような形をとるものです。それらを素早く、力強くあなたの肩から払いのけて(いつまでもそこにくっつけておくべきではありません)神様の召しに従って進みましょう!

11月1日のメッセージセルフチェック

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたのいのちの日は増すからだ。もし、あなたが知恵を得れば、その知恵はあなたのものだ。もし、あなたがこれをあざけるなら、あなただけが、その責任を負うことになる。(箴言9:10~12)

あなたはおしゃべりが好きですか?私は独り言が大好きで、たいてい、なにか間違った事について独り言を言ってしまいます。それを「あざける」と言ってもいい場合がありますが、そういうときは、まさにソロモンが言ったように私だけが「その責任を負う事になる」のです。ソロモンはこうも言いました。「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」。

知恵、知識、そして悟りこそが私の求めているもので、それはまず神様を恐れる事から始まるのです。「主を恐れる」ということは畏敬の念を抱く事に他なりません。その御前から離れる事を想像するだけであなたの心に恐れをもたらす、「神様」という存在の前に感嘆するということです。
神様を怖がるというのとは違います。そこまで辿り着くには時間がかかるかもしれません。そして自分自身に独り言を言うのではなく神様に話をする事にもっと多くの時間を費やすことから始まるのです。
もっともっと心を尽くして主に拠り頼み、それと同時に自分の悟りに頼ることをやめていくのです。そして日々、あなたのする何事においてもイエス様を認めましょう。そうすればすぐにあなたは神様なしの人生なんて想像できなくなります!
コラの息子たちいわく、「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。」(詩編84:10)私たちの内におられる神様のご臨在に、人生の中で大きく働いていただきましょう!

10月25日のメッセージセルフチェック


主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならのでしょう。 (詩篇 13:1,2)


詩篇 142 / 詩篇 77:1,2.



人生においては、暗い洞窟の中にいたダビデと同じように感じるときがあるでしょう。主に従うと決意したのに、それでも尚、安全な出口の無い暗闇の奥にいる自分。でも安心してください。あなたは一人ぼっちではないし、そのような体験をしているのはあなた一人だけではないのですから。 暗闇の奥で物語は終わらない。それが良い知らせです。素晴らしい時もあれば、興奮する時もあり、そして時には恐怖を感じる時もある。それらは全て、主イエス・キリストと共に歩く人生の一部なのです。


2014年10月25日 メッセージ

「主よ、尋ねたいことがあります。」

10月18日のメッセージセルフチェック


「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう」(詩編1186
ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエル人の戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って」(Iサムエル174546

今週の聖書個所:Iサムエル 172050

兄たちにとってダビデは、父親に言われて荒野で「わずかの」羊の群れの面倒を見ている、ほんの子供にしか見えなかったかもしれません。しかし彼らは、ダビデと羊飼いの仕事をともにしてきたお方の力を完全に軽視していました
 ダビデがゴリアテの運命その大きな頭がどうなってしまうかを大胆に予測した時、それは若さゆえのごう慢さと勘違いされました。しかし真実はそうではなく、ダビデは約束を果たしてくださる神様の力を深く信じていたのです。
このような信頼は、ダビデの周りにいたほとんどの人たちの心にはありませんでした。神様に対する真の謙虚さは、神様があなたの傍にいると思い描けるほどの大胆な信仰を持つことを伴います。神様の召しを受け、聖霊様によって主の力強い御手があなたの人生に表わされる時あなたはそれを自分自身でやっているとは到底思えないはずです。
神様の考えておられる謙虚さとは、40日間岩の後ろに隠れるのではなく、神様があなたに味方してくださる事を知った上で、主の力強い御手のもと前に進む事を選ぶという事なのです!

2014年10月18日 メッセージ

「神の救いと働き」

10月11日のメッセージセルフチェッック


「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。
ただ、主にそむいてはならない。」(民数記14:7-9)
今週の聖書個所:民数記13:1~14:12/Iペテロ5:5~11

荒野をさまようイスラエルの民が目的地を目の前にした時、万軍の主はモーセにこのように言いました。「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。」
12人が約束の地に行きましたが、そのうちカレブとヨシュアの二人だけが神様に言われた通りにしたのでした。他の10人の男たちは、約束の地を偵察して戻って来た時、彼ら自身の経験、能力、意見や感情に基づいて、そこに行くのが不可能な理由―簡単にいえば、神様の恵みを抜きにした「現実的な」言い訳―を並べたのです。一方カレブとヨシュアは命じられた通りに探りに行き、約束の地が「素晴らしく良い土地」であると知り、さらには、神様の約束(「わたしがイスラエル人に与えようとしている・・・」)が「探りに行け」という命令と結びついていたことを思い出したのです。この2人は、神様の力強い御手が約束を果たすのを見るために出発したくてたまらなかったことでしょう!

神様の命令によって私たちの多くが立ち向かう大きな課題や小さな課題は、私たちを守り、有り余るほどの恵みを与えるという約束と結びついているのです。私たちは、あとどれぐらい約束の地を探る必要があり、そしていつになったら、より多くの言い訳を使って神様に反抗するのをやめるのでしょうか。主の前にへりくだれば、神様の恵みは必ず道を開いて下さるのです!

2014年10月11日 メッセージ

「大胆な謙虚」

10月4日のメッセージセルフチェック


そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。(テモテ2:1)
今週の聖書個所:エペソ6:10、11/Iペテロ5:5~11

ペテロの書いた聖書箇所によると、真の神様の恵みとは、私たちがその中に堅く立つべきものであり、単に「私たちに相応しくない、信仰を通じた救いの賜物」という以上のものなのです。このような恵みはキリストにある生き方の中心であると同時に、イエス様とともに力強く歩むためには不可欠なものでもあります。あなたが神様の御心を追求していく中で、悪魔が邪魔しようとして投げつけてくる全ての障害物を乗り越えるための力を主の恵みは与えてくれるのです。
忘れてはいけません、敵はあなたが神様の御国を広げようとする時必ず妨害します!継続的に神様から恵みを受けることは、あなたが(多くの場合自覚せずに)感じている妨害を日々乗り越えていくために必要なのです。そうすることによって私たちは、たとえ妨害に遭っていたとしても、目の前にある使命を果たすために、生まれつきの能力を上回る力を与えられるのです。イエス・キリストの恵みによって強くなりましょう!そして一人で立ち向かわないで下さい!

2014年10月4日 メッセージ

「その中にしっかりと立つ」

9月27日のメッセージセルフチェック


あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。(ホセア10:12)

ある朝のことです。私が乗っていた電車の扉が開いたと思ったらいきなり反対側のドアに押し付けられてしまい(満員電車はもちろんのこと、早朝からサラリーマンの大きな腹で押されてドアに叩きつけられるなんてごめんです!)、顔をしかめて小声で文句を言っていると、同じような境遇の男性が私の隣で目を閉じて微笑んでいるのに気付きました。
彼は気晴らしのためのイヤホンも、漫画もスマホゲームもなしに、ただ目を閉じて微笑んでいたのです。一体誰だろう?と思いながら、私は彼が祈っているか瞑想をしているのだろうと考え、そしてあることに気づきました。もし私が電車に乗っている間、祈りと瞑想にもっと時間を費やしていれば、私自身とこの世界にとってとてもためになるでしょう。
 そこで私は同じ車両に詰め込まれている人たちの魂のために祈り始めました。
言いかえれば、もっと時間を割いて、私の人生の中の様々な場所をイエス様とともに耕し、手入れするべきだったのです。

あなたの人生のありとあらゆる場所—通勤電車の中、会社、教室、公園、居間、そしてもちろんあなたの心の奥深い所にも、まだ耕されていない庭があるという事に気づいたら、あなたはきっとびっくりするでしょう。
あなたは人生のありとあらゆる場所に正義の種を蒔いているでしょうか?
伝道者の書は、種まきをすることなしには刈り入れの時はやってこないと言っています。主の尽きることのない愛と正義を刈り入れるために、私たちはまず土を掘り正義の種を蒔き始めなくてはならないのです。

2014年9月27日 メッセージ

メッセージ 「あなたの時間を費やす」

9月20日のメッセージセルフチェック


神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31)
今週の聖書個所:Ⅱコリント11:23~12:10/ローマ8:35~39

私たちの多くは神様に従いたいと思っていますが、艱難に遭うと不満を持ったり、弱気になったりしてしまいます。私たちはイエス様のために勇敢に闘いたいのですがそれは楽な状況の時だけで、苦しい時に悪魔と戦いたくはないのです。私たちは、楽で心地よく、便利で、対立のない人生を好みます。アーメン!私もよくわかります!でも、はたして私たちのために計画して下さった人生がこういう風で良いとイエス様は思っているのでしょうか? それは絶対にありえません。
パウロは「肉体に与えられた一つのとげ」について、それを去らせてほしいと3度も主に願いましたが、神様がお答えになったのは三度目の時だけでした。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」--その答えによって、人生に降りかかる困難に対する彼の考えかたと態度が永遠に変えられたのでした。
パウロは、逆境とは神様の大きな力が人生の中で表わされるためのチャンスに過ぎないという事に気付いたのです。まさにその逆境によって、彼はイエス様との歩みにあって成熟し、それまでになかったほどイエス様と親密になったのです。イエス様の愛から私たちを引き離す事ができるものは、文字通り何一つないという事を理解した人生。そんな人生こそが、神様が私たちのために計画して下さっている人生なのです。命を選びましょう!

2014年9月20日 メッセージ

メッセージ「十分な恵み」

9月13日のメッセージセルフチェック

あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。(申命記30:19、20)

今週の聖書個所:Iヨハネ5:1~15/エペソ1:19~21/ローマ5:2

人生は様々な選択に溢れています。それは、私たちがイエス様やイエス様の聖なる御言葉とどう関わっていくかということにおいても真実です。使徒ヨハネは、私たちの内におられる方(イエス様)はこの世の中にいる者(悪魔)よりも大きな存在であると言っています。あなたはこれを信じますか?あなたの生き方はあなたが信じていることを映し出します。あなたは常に何かを怖がり、災難が恐ろしげにその頭をもたげる時、逃げることを選びますか?それともあなたは、イエス様がいつでもあなたの傍らにいて、降りかかってくる全ての障害に打ち勝つ事に協力しようとしてくださっているという事を念頭に置いて前進することを選びますか?
パウロは「(私たちは、)いま私たちの立っているこの恵み(力)に信仰によって導き入れられた」と言っています。神様はその御力によって、私たちの人生で起きうる全てのことを乗り越えさせてくださるということを知り、そして信じ、その知識と信仰とで自分自身を武装しましょう。打ち勝つ事ができるのは、幾つかの事とかほとんどの事とかではなく全ての事です!イエス様があなたを守って下さっているのです!アーメン!

9月6日のメッセージセルフチェック


あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(Iコリント10:13)

今週の聖書個所:Iコリント10:13/ヘブル4:14~16.

あなたが神の国を広める働きを続けようとするとき、主と共に歩むということには苦難が伴います。この世のものの見方は神様のそれとはしばしば異なるもので、その中で神様の善意を実行しようとする時には抵抗が起きるものです。
イエス様の召しに従おうとする中での葛藤と向き合うとき、あなたは一人ぼっちだと思ったり、これは自分以外誰も経験したことのない特殊な試練だと感じる事もあるでしょう。敵はそう信じ込ませたいのです。

でも安心してください、あなたにとって未知なる試練もイエス様にとっては特に驚くようなことではないのです。イエス様は過去に同じ道を通っていますし、その間他の信者とも一緒に同じような経験をしてきたのです。あなたの人生の中で力強く働く神様の憐れみと恵みのもとやっとあなたが成し遂げられることについて、当の神様がそれを過大評価するなんて絶対にある訳がないのです!ありがたいことですね!
けれども念のため、途中で「不安」に襲われた時に、その状況をあなたが乗り越えられるようにイエス様は道を備えてくださっているという事を忘れないでください。
もう辞めて逃げたいと思いたくなるようなプレッシャーの中で強く立っていなければならない時、私たちは大胆に御座に近づき、あわれみを受け、恵みをいただきなさいと言われています。
あなたが試みに会っている時、あなたは一人ぼっちでもないし、日の下に新しい試練はなにもないのです。ホッとしますね!

キャンプでのメッセージ セルフチェック


するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手に鋤をつけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」(ルカ9:62)私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。(ヘブル10:39)

今週の聖書個所:ルカ9:57-62

先日のキャンプを、皆さんも私と同じくらい楽しむことができたことを願います。皆さんと充実した時間を過ごすのは楽しかったです!また、先週末のキャンプは、参加した全員にとってチャレンジをしてもらうための場でもありました。
神様の霊はあなたに「何かをする」と言う事について語られたでしょうか。あなたがそれを聞くことができたことを願います。そして、語られた事を誰かに打ち明けるのを忘れないでくださいそうして意欲を奮い起こし、実行に移しましょう。そうでなければ「何も」起きません。
私たちが主に従う事を選んでいたとしても、よく見落とされがちなのは、私たちは後ろを振り返ることに膨大な時間を費やしてしまっていると言うことです。そういった過去の事はイエス様にお委ねし、完全に前を見て、ことばと行動において神様の導きに従いましょう。
ホープチャペルウェスト東京を神の国への奉仕にふさわしい教会にしましょう!

8月16日のメッセージセルフチェック


今週の聖書個所:ルカ5:17-26/詩篇103:1-5

今週の聖書個所で目立っているのは、苦労してご自分のところに友達を連れてきた男たちの信仰を見て、イエス様が最初に示した反応です。彼らは、イエス様のもとにたどり着く事さえ出来れば、その友達は癒されると知っていました。そして屋根をぶち抜くという形でそれを叶えたのです!
しかしイエス様は何よりもまず彼らの霊的な状態に注目されていました。それは今日も変わりません。
イエス様はいつでも全ての人々に許しと贖いを与えたいと願い、私たちを毎日一瞬一瞬神様との正しい関係に置こうとしておられます。私たちは道を見失ってしまった時にはすぐ悔い改めて神様に立ち返るべきなのに、なぜこんなにも度々それを忘れてしまうのでしょう。なぜ罪悪感と恥を背負いながらさまよう事を選んでしまうのでしょう。まさか、今まで神様にしていただいたこと全てを忘れてしまったのでしょうか?
一日のうちいつでも、神様がしてくださったことを覚えて、私たちと神様の関係を密接に保ちましょう!

8月16日 メッセージ

「忘れるな」

8月9日のメッセージセルフチェック

そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5:31、32)

今週の聖書個所:ルカ5:27-32/ローマ5:6-8

ハワイのファーストラブ・チャーチでスティーブ・ピーチ牧師の説教を聴いたあと、私はその力強く説得力のあるメッセージにどうしても感謝したくなり、彼のもとに駆け寄って行きました。そのメッセージは、クリスチャンでありながら「恵みを喪失する」という危険性について語っていました。それは、私が今年のミニストリーを通じて確かに実感したことでした。私は恵みを教えていたにも関わらず空っぽの状態になっていたのです。それは私の心にも現れました。私が仕えるようにと神様から言われていた人たちの事を裁き非難していたのです。
 一方イエス様は、漁師・取税人や罪人たちと、彼らがそれまで生きてきたその場所で会い、さらには彼らと祝宴さえ共にしました。全ての栄光を帯びた「恵み」が収税所へおもむいた結果、レビや彼の友人である「罪人」達は変わったのです!そこには人々に軽蔑され、非難され、愛と恵みに飢えた者たちがいました。彼らがイエス様のために宴会を開いたのも不思議ではありません!
この豊かな恵みはあなたの人生において明らかでしょうか?それはあなたのものの見方や言葉や周囲の人々―特にあなたの人生の中の取税人たち—に対する態度に反映されているでしょうか?恵みによって歩く事を選びましょう。あなたがまだ弱く、救われるために何一つ自分ではできなかったときに、それにも関わらずあなたは「恵み」によって救われたのです。そして、今もまだそうなのです。

8月9日 メッセージ

8月2日 メッセージ by Akinobu

7月26日 メッセージ by Rie

7月19日 メッセージ by Tsutomu

7月12日 メッセージ

「原理原則」

7月5日 メッセージ

メッセージ「分裂の策略」

6月28日のメッセージセルフチェック


そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。(エペソ5:15~17)

今週の聖書個所:ルカ8:2225

私は、弟子たちがもっと違った方法で嵐に対処する事はできなかっただろうか、溺れてしまうという恐怖にパニックになってイエス様を起こす必要は本当にあったのだろうか、と思うことがあります。人生の嵐のただ中にいる時、私たちが覚えておかなければならないのは最初に船に乗る時に語られた天の御父の言葉です。神様があなたに向こう岸へ渡るように言ったのなら、神様は必ずあなたをその場所へ辿り着かせてくださいます。しかし、神様がその事についてそれ以上何も語らなくなった時には、私たちは賢く、冷静な判断をしなければなりません。何をするべきかについてはすでに「知恵が叫んでいる」、そんな場合にまでも私たちははっきりと聞こえるような神様の声を常に必要とするわけではないのです。これもキリストにあって成長していくということの一部です!

6月28日 メッセージ

メッセージ 「賢く選ぶ」

6月21日のメッセージセルフチェック


そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた。(ルカ8:22)

今週の聖書個所:ルカ 8:22-25、26-39

弟子たちが急に激しい嵐に見舞われたという聖書箇所で、私たちは、イエス様の厳しい叱責は彼らが恐れを抱いたことに対してではなく、彼らの信仰のなさに対してだったということを学びました。イエス様の言葉を軽く感じてしまう時があるかもしれませんが、勘違いしてはいけません。神様の言葉はささいなものと受け取られるべきでは決してなく、常に恵み、力、そして助けに満ちているのです。もし神様が船に乗り込んで向こう岸へ渡るようにとあなたに言っているのなら、安心してください、嵐がどんなに激しかろうとそこにたどり着く事ができるのです。
今週、ぜひ時間をとって、向こう岸へと渡る船旅について神様があなたに語った言葉を思い起こしてみてください。忘れないでほしいのは、神様があなたに何かを語って下さったのなら必ずその場所に連れて行ってくださるという事です!

6月14日のメッセージセルフチェック

「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」(マタイ7:24-27)

今週の聖書個所:ヤコブ1:19-27/ルカ6:22-26

ヤコブは私たちに、神様の言葉をただ聞くだけでなく実行しなさいとはっきり言っています。神様の言葉を実践していくことで、人生を支える堅固な土台が築きあげられます。私たちは皆、そのような安定性を人生に望んでいるはずです。上記の聖書個所の中で、イエス様は、神様の言葉を実行することであなたが建てた家に襲いかかる土砂降りの雨や洪水、荒れ狂う風を止ませる事が出来るとは言っていません。そうではなく、そうする事で嵐の中を持ちこたえ、立ち続けることができると言っているのです!
にもかかわらず、教会にいる私たちの多くは、「私は神様の言葉を聞いているんだ」と思うだけで、その心地よい響きに包まれて、なにか快適になったかのような錯覚に陥ってしまっているようです。実はこれこそ「キリスト教」の泥沼であり、いわば流砂にはまってしまっているような状態なのです。
人生に堅固な土台を据えるために、神様の言葉をあなたの生活の中で毎日実行しましょう。待つ必要はありません。あなたは既にイエス様の言葉を沢山聞いているのですから。天候の事など気にする必要のない人生を想像してみてください!いいですよね!

6月14日 メッセージ

メッセージ 「正義と拒絶」

5月31日のメッセージセルフチェック

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。(ヤコブ1:2-4)
今週の聖書個所:ヤコブ1:1-8/ルカ3:21-4:14

あなたの人生においては時として、あなたがコントロールすることなど全くできないような患難に直面することがあります。けれども神様は常にそれらを乗り切るための手段を与えて下さるのです。ですから、イエス様を信じる者として、キリストに堅くつき、決してあきらめない事を選択してください。その選択は、いつでも結果的により深くより力強い神様との歩みをもたらすからです。それによってあなたの苦しみがなぜ起こったのか説明がつくようになるわけではありません。神様が悲劇を演出する訳ではないのですから。しかし、神様を信頼してそれを乗り越えることによって、あなたの人生や、あなたの周りの世界は豊かな意味を持つようになるのです!
私たちは、もはや完全ではない世界に住んでいます。それだからこそ、私たちの人生にイエス様が必要なのです。全てにおいて神様を信頼することを選びましょう。そうすることで、あなたが日々直面する試練や患難さえも、真実で祝福された意味を帯びるようになるのです。

5月24日のメッセージセルフチェック


神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(ローマ8:14-17)

私たちは神の御国の祝福と宝について語るのが大好きです。そうあるべきです!神様が御子に与えた全ての宝は、神様の子供とされた私たちにも与えられているからです。イエス様が十字架の上でして下さった事のゆえに、私たちはキリストとの共同相続人とされました。そしてイエス様の栄光を分かちあうということは、私たちの行く手にやってくる患難をも分かち合うということを意味しています。試練や苦難はすべて、栄光を分かち合うという特権の一部です。私たちがイエス様と同様なものとみなされるなんて、なんと素晴らしく光栄なことでしょうか!
もしあなたが堅い信仰に基づいて生きていたなら、あなたの人生においては「なぜこうなの?」がより少なくなり、「なぜやってみないの?」がより多くなるはずです。 

5月24日 メッセージ

メッセージ 「苦難」

5月17日のメッセージセルフチェック


さて、神の国はいつくるのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:20、21)
今週の聖書個所:ヨハネ3:1-17/ルカ17:20、21

あなたはこの言葉をどう受け取りましたか?「神の国はあなた方のただ中にある」というイエス様の話にあなたはどのように応えますか?私たちは神様の領域の中で立ったり座ったりしているという考えに驚きを感じますか?当然かもしれません。あなたは信じる者として、神様の恵みのみによって、昼も夜もずっと神様の御国の中で生きることができるからです。あなたは、職場にいるときも、家にいるときも、教室にいるときも、そして電車に乗っているときにも聖域に立っているのです。そしてこの事実はあなたの生きかたに強い影響を与えるはずです。
あなたは、周囲から受ける悪い影響力に対してただ反応するという人生を生きる必要はないのです。あなたが生きるべきなのは、御霊の思いに導かれた行動に基づいた人生です!御国の鍵が与えられているのですから、それを使わないのはなんてもったいない事でしょう!あなたの日々の生活において神様の力を解き放つとともに、神様にあって豊かな実を結ぶことを邪魔するもの全てを縛りましょう。忘れてはいけません。あなたは既に神様の領域にいます、そしてこれからもずっとそうです!

5月17日 メッセージ

メッセージ 「神の支配地」

5月10日 メッセージ

メッセージ by Ralph Moore

5月3日のメッセージセルフチェック

ヨシャパテは・・・言った。「私たちの父祖の神、主よ。あなたは天におられる神であり、また、あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手には力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。(第2歴代誌20:6)それで、ヨシャパテは地にひれ伏した。ユダのすべての人々とエルサレムの住民も主の前にひれ伏して主を礼拝し(第2歴代誌20:18)

今週の聖書個所:第二歴代誌20:1~30

今週の聖書個所の中で、神様の霊がヤハジエルを通じて人々に語った時、ユダの民は全員、彼らの幼子たち、妻たち、子どもたちと共に主の前に立っていたという事が出てきました(13節~17節)。言い換えれば全ての人がそこにいたという事になります。ヨシャパテ王と人々が神様を求めて集まってきたこの時、ユダの王国は3つの軍勢が押し迫ってくるという危機に直面していました。彼らは命の危険に脅え、迫りくる強大な勢力を前に気を落としていました。しかし神様は彼らに恐れるな、気落ちするな、と命じました。そして、あなたがたが戦うのではない、なぜならその戦いは主の戦いであるから、と語りました。彼らの状況は神様の支配下にあり、彼らにはただ自分たちのいるべき位置に立つという事だけが命じられたのです―信仰にしっかりと留まり、主が勝利するのを目の当たりにするために!
その知らせを聞いたヨシャパテ王と人々は地にひれ伏して神様を礼拝しました。
あなたの人生を管理しているのは誰でしょうか?あなたの人生の所有権は誰のものでしょうか?もし王が神様の前に服従しひれ伏して礼拝したのなら私たちもそうするべきではないでしょうか?それがあなたの人生をリセットし、回復させる一つの方法です!

2014年5月3日 メッセージ

メッセージ「顔を地に付けて」

4月26日 メッセージ by Tsutomu

4月5日のメッセージセルフチェック


あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5:14-16)
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにおり、栄光が世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。(エペソ3:20、21)

私たちはイエス様に世界の光になりなさいと命じられています。そして私たちの周りにいる人たちにキリストの光を輝かせ、彼らが私たちの良い行いを見て天におられる神様を崇めるようにと。この偉大な召しは、実行するのに多くの手助けが必要となります。言いかえれば、私たちの人生を満たしてくださる神様の恵みなしにはとても出来る事ではないという事です。ただ単に私たちの周りにいる人たちに優しくするだけでは十分ではありません。また、どうにかこうにか日々を生き抜いているだけで私たちの周りの人たちが神様を崇めるようになる訳でもありません。

必要なのは、あなたが願い求めることのできることや、あなたが人生の中で出来ると想像していることをはるかに超えたものが必要なのです。それで、なぜあなたは求めることをやめてしまったのでしょう?なぜ不可能な事について想像さえもしなくなったのでしょう?もういちどキリストにあって願い求め、想像してみましょう!

4月5日 メッセージ

メッセージ 「この世の光」

3月29日のメッセージセルフチェック

「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」 (使徒の働き 4:33)

使徒の働き 4:1-33 / 6:1-10.

初期の教会では多くの奇跡と不思議な証が溢れ、大きく成長していきました。使徒の働きには、クリスチャンたちが聖霊に満たされていたこと、力強く、大きな恵みが彼らの上にあった、と記されています。力強く素晴らしい日々を実践して生きる土台は、神様の溢れる恵みによってつくられ、そのような生き方をイエス様のために生きよと命じられていました。 クリスチャンたちは、妨害にもしっかりと向き合い、自分たちを脅かすものを知った上でどうか自分たちが大胆に生きることができるようにさせて欲しいと主に祈ったのです。(4:29)
そう、ところでですが、メッセージの中で教会のリーダーたちについて、聖書では彼らが無学であったこと、普通の人であったことを言いませんでしたか?「高い学歴を持たないフツーの人」。私たちはしばしばそのように表現します。提供されている溢れる恵みの下で生きることを選んだ時に、はじめて私たちは真に力強く、奇跡に満ちた人生を生きることができるようです!
しりごみせず、主があなたが向き合っている妨害や困難をしっかりと考えてくださって、それでも尚、あなたを力強く生きさせることを、主に許可しましょう。主の恵みこそが、あなたの力です。

3月29日 メッセージ

メッセージ 「多くの恵み、大いなる力」

3月22日のメッセージセルフチェック


ガラテヤ人への手紙219-21
しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です

今週の聖書個所:ローマ人への手紙61-14 

今週話したように、新しく買ったスマートフォンは当初私にとっては役立たずでした。しかし、かなり時間はかかったものの、普通の電話にはないスマホの機能をどう活用するかをすこしずつ学んだ結果、この電話は本来そうあるべきだった「スマート(賢い・高機能の)」電話に変わってくれました!他の人たちのようにはまだ使いこなせてはいませんが、この電話は私の仕事や私生活に大いに役立っています。一方、神様が私たち皆に与えてくださっている素晴らしい恵みを誰かが無駄にしてしまっているとしたらどうでしょう。スマホを使えないアナログ人間の笑い話とはもはや比較にもなりません——私たちの代わりに苦しみ、死なれたイエス様の犠牲を無意味にしてしまうのに等しい悲劇です!
パウロがコリント人への第二の手紙6章の1-2節で言っているように、私たちが神様の恵みを無駄に受けたり、だらしない、ゆるんだ恵みに基づいた人生を生きるのをやめるべき潮時はとっくに来ています。
私たちは新しい命を与えられ、イエス様と一つであり、以前は私たちを圧倒し打ちのめしていた物事を無力なものにする力を与えられています。今や、恵みにより、あなたは神様の御心に沿って変わる力が与えられているのです。だとすれば、なぜあなたは、人生の中で使うことのできるこれら全ての機能を使わないのでしょうか?今すぐ始めましょう。私たちは「賢い」恵みを、あなたの中に満ちているキリストによって与えられているのです!

3月22日 メッセージ

メッセージ 「賢い恵み」

3月15日のメッセージセルフチェック


神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
Iヨハネ1:5-7)

愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか(IIコリント7:1)

今週の聖書個所: 2コリント6147:1Iヨハネ152:17

私たちに救いをもたらした神様の素晴らしい恵みは、今すぐ、ここで、キリストの豊かさによって私たちを満たしてくれます。ご自身が光であるイエス様のうちには少しも暗いところがないように、全ての信じる者たちもこのような聖さによってその歩みを全うするように召されているのです。これは、私たちを清め、義として下さったイエス様の血によって可能となるのです。光の中を歩むというのは神様に対する畏敬の念があるからこそ神様の恵みの中を歩むということに他なりません。使徒パウロは、この「光の中を歩む」ことについて「聖きを全う」する、という風に表わしています。イエス様がその働きを通じて私たちのために無償で成し遂げて下さったことを、自分の人生で実践・実行するように私たちは召されています。これは詩なんかではありません。あなたの人生の全ての部分において聖さを訓練するために、それこそ「体を動かし、酸素を燃やして汗をかく」ようにという召しなのです。あなたの体と魂を弱めている毒素の流れをどこから止めるべきでしょうか?あなたの人生における聖さを全うする作業を始めてください。あなたは、恵みによってその仕事を全うするための力が与えられています。そして神様に本当に愛されているのです!立ちあがって取り掛かりましょう!

2014年3月15日 メッセージ

メッセージ 「光の中を歩む」

3月8日のメッセージセルフチェック

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。(ヨハネ14:15-17)

今週の聖書個所:ヨハネ14:15-21/ローマ5:17/2コリント12:9

天の父のもとへ去って行く前にイエス様は、ご自身が天におられる父なる神と一つであり、そしてイエス様に従う者たちもご自身と一つであるという事を弟子たちに分かち合いました。十字架への物理的な旅立ちは、絶対に壊れる事のない霊的な結合を信者たちにもたらしたのです。神様は「キリストによって義とされた者」という新たな地位を与えてくださったばかりでなく、あなたにも、私にも、それ以上に豊かな恵みを与えてくださっているのです。また、神様の霊が私たちの中に生きておられるために、私たちの日々の暮らしの中でこの恵みの豊かさを知る事ができ、体験する事が出来るのです。人生において反発や困難に対処する事ができないような日や瞬間に直面した時――そんな時こそ、あなたの内におられる聖霊に最大の働きをしていただきましょう!
今すぐやってみることです!神様の平安を深く吸い込んであなたの心配事、ストレス、不安を神様のところに吐き出し、神様ご自身にその状況を導いていただきましょう。恵みの豊かさをあなたの人生に溢れさせるのです!

2014年3月8日 メッセージ

メッセージ 「恵みの力」

3月1日のメッセージセルフチェック


するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」(マルコ9:23)


もしひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。(ローマ5:17)



今週の聖書箇所:マルコ9;14-29、エペソ1:18-23、2:6-10



マルコが福音書に記した、イエス様と絶望した父親との出会いの場面を読んだとき、同じような話を聞いた気がしませんでしたか?神様に話しているとき、あなたの願いがなにかとても条件付きのものであることはないでしょうか。神様に対するあなた自身の行動が条件つきかどうかということではありません。神様が、あなたの現状やあなたの過去についてどんなことがおできになるか、ということについて、あなたが実際に信じていることが、条件つきになってしまっていないか、ということを言っているのです。

今週は、あなたがイエス様に対してこう言わなければならない分野を見てみましょう--
「どうか私の不信仰を克服できるようお助けください。」あなたの人生の全てを、あらゆる意味で、イエス様に満たしていただきましょう。イエス様を信じる者として、私たちには「いっさいのものの上に立つかしら」であり「いっさいのものをいっさいのものによって満たす方」がともにいてくださるのであって、もはや一人ぼっちではないのです!


2014年3月1日 メッセージ

メッセージ 「誰が支配するのか?」

2月22日のメッセージセルフチェック

あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。(詩編139:16)
今週の聖書個所:ヨハネ21:17-25/ヘブル12:1-3

あなたが生まれるよりも前から、神様はあなたの人生のための計画を持っていたと聞いたらどう感じますか?その計画は競争という形になって、あなたのために線が引かれており、あなたは忍耐をもってこれを走るようにと言われているのです。神様があなたのために計画したこの競争に参加するかどうかはあなた次第です。時としてこの道は狭く見えることでしょう。多くの人は、もっと広く、より人気のある道--実際には単に安全そうに見えるだけの道--を選んで走るものです。来る日も来る日も正しいことを選び取るには力が必要になります。また、間違った選択をした後、新たにイエス様を信頼するという選択をするには揺るがない信仰が必要です。でも安心しましょう。神様は、あなたの内に住む聖霊様を通して、あなたのために用意された旅に必要なもの全てを与えて下さったのです。それは決して揺らぐことのない、力・知恵・平安の源であって、あなたが目の前のレースを走ることを可能にしてくれる天からの助けなのです!神様に不可能な事は何一つありません!

2月15日のメッセージセルフチェック

ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」(ヨハネ21:21)
今週の聖書個所:ヨハネ21:17-25/ヘブル 12:1-3

イエス様から多くの恵みと憐れみを受けたにも関わらず、ペテロがいとも簡単に気を逸らされてしまうありさまを今週の聖書個所で取り上げました。暖かい焚火、出来たての朝食、ありあまるほど捕れた魚。「私について来なさい」という憐れみに満ちたイエス様からの召しが、神様の働きに戻るようにとペテロに促していました。そして次の瞬間、ペテロは気もそぞろにイエス様から目をそらし、振りかえってヨハネに目を留めます。「あの人はどうなのですか?」
ヘブル人への手紙の筆者はこう言っています。「いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」またこうも言っています。「あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように」。
私たちももしペテロのようにうっかりしていると、あさっての方向を向いてしまい、スタートラインでつまずいてしまうかも知れません。神様の恵みからそれてしまうことのないように常に気をつけながら、あなたが走ることを邪魔し足手まといになる全てのものを投げ捨て、あなたの足にすぐに絡みついてくる罪を振り捨てましょう。それらのものは、あなたが目の前に置かれている競争を走ることを不可能にしてしまうのですから。

2014年2月15日 メッセージ

メッセージ 「それがあなたに何の関係があるのですか?」

2月8日のメッセージセルフチェック

イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」(ヨハネ21:17)

今週の聖書個所:ヨハネ21:1-19

ヨハネの福音書の最後の章は、イエス様が近しい弟子たちに対し愛、恵みともてなしを表現している様子が美しく描写されている個所です。ずぶぬれになっているペテロと率直な話をする場面はイエス様の許しと贖いの一つの形です。大きな失敗を犯したペテロは、ここで再びリーダーとしての位置に戻されます。
しかしペテロはこのとき、個人的な、そして強烈な形で、もっと重要なこと、決して忘れてはならないあることに気付かされました。他のどんなことをしていようとも、イエス様を愛しているかどうかということがその核心に他ならない、ということです。ペテロは心を痛めたかもしれません。しかし、以前の失敗に関わらず、彼は自分が彼の主をどう思っているかを本当に分かっていて、心、魂、思考そして力を尽くして主を愛するという大いなる命令を生きていたのです。あなたが日々の生活において「羊」や「子羊」たちの面倒をみるに先立って、私たちの主がペテロに尋ねた同じ質問に答えてみるのが一番良いと思います。「あなたはわたしを愛しますか?」あなたは、心、魂、思考そして力を尽くしてイエス様を愛しますか?神様の大いなる命令はこれらすべてを使う事で実行されるのです。

2014年2月8日 メッセージ

メッセージ 「3回」

2月1日のメッセージセルフチェック

主よ。私はあなたに叫んで、言いました。「あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。(詩編142:5)
今週の聖書個所:ルカ18:18-30

今週の聖書個所の中で、ペテロはあのガリラヤ湖の岸辺で起きた決定的な日の事を思い出していました。イエス様についていくために、ヤコブとヨハネとともに、今までにないほどの大漁の網も何もかも岸に捨てていった日の事です。ペテロは網いっぱいの魚に引っ張られ傾いていた船の上で、自分が神様の前に立っている事を知りました。メシヤと共にいる事に比べると、自分の抱いていた最大の夢もいかにちっぽけに見えてしまうか、彼がそれに気づいたのはまさにこの瞬間でした。
あなたが抱く最も大きな夢でさえも、あなたの人生について神様が持っているもっと大きな計画のほんの一部でしかないという時があるでしょう。あなたが人生で追い求めている全ての事を超えて神様を選びましょう。イエス様こそがあなたの避け所であり、この世においても来るべき世においてもあなたの受ける分として選ぶべき方なのです。

質問:今週あなたは、神様の手にしがみつく事をさまたげるような何かをその手に握りしめていませんか?私たちの人生において、自由になった両手を神様が握りしめてくれること、その暖かく力強い感触を感じることほど素晴らしいことはめったにありません。さあ手放しましょう!

1月25日のメッセージセルフチェック

(イエスは)話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。(ルカ5:4)
今週の聖書個所:ルカ5:1-11

釣り人や漁師たちにとっての夢は、大物を釣り上げること、あるいは大漁の網を引くといった事でしょう。しかし、何も釣れずに一晩中過ごしたペテロと彼の仲間たちは、そういった希望を無くしてしまっていました。そんな彼らにとって絶対にやりたくないことといえば、せっかく網を洗ったのに再び深みに漕ぎ出て、また網を水におろすということだったに違いありません!しかし、イエス様はまさにペテロと彼の仲間たちにそうしなさいと、つまり、不可能に見えることをやってみなさいと言ったのでした。この試みはまだ漁師たちの「大きな夢」を含んでいましたが・・・・・・ひるがえって、今――あなたは、あなたの夢を神様に委ねる事ができますか?もしその夢が叶ったらあなたはどうしますか?そしてそこにイエス様の姿を目撃したらどうしますか?ペテロ、ヤコブ、そしてヨハネはその後、もっと大きな夢を求めるために彼ら自身の夢を岸に置き去りにしてイエス様に従いました。あなたの力を尽くして主を愛するという事は、イエス様と共にもっと深い水に漕ぎ出ていき、時としてあなた自身の夢を置いて、より大きな夢を求める事を伴うのです。

1月18日のメッセージセルフチェック

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。(ヨハネ14:12)

今週の聖書個所:ルカ4:31-44/マルコ5:24-30/ローマ12:1-8

あなたの力を尽くして神様を愛するには、キリストを信じる全ての人たちに与えられているこの「比べようもない偉大な力」を応用する必要があります。その力を応用するということは、すなわち行動すること、それも「実践的」な行動を起こすということです。癒しが必要な状況において自らの手をおく大胆さや、自分の手を汚してでも状況を解決しようとすること——「実践的」な信仰とは、そういったことを通じて、やがて神様が奇跡を起こすための扉を開くのです。
前回、あなたの人生において、あるいはあなたの人生を通してイエス様が奇跡を起こして下さったのはいつでしたか?行動を始める時なのではないでしょうか?
キリストにあって勇敢になりましょう!

1月11日のメッセージセルフチェック

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ローマ12:1)

また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ1:19-21)

神様の力と愛は桁違いです。パウロはただの表現としてそのように書いたのではなく、私たちが生きている現実の世界における事実として書いたのです。どんな科学者も、神様の実際の愛と力を、宇宙にあるいかなる事物とも比べる事はできません。基準点や類似点は何もないのですから。そして、この比べようもない偉大な力は信じる者全てに与えられています。それゆえパウロは私たちに、私たち自身を生きた供え物としてささげてほしいと願っているのです―むしろ懇願さえしているのです。しかしそれを行うに先立って、まず全能の神様、その大きな憐れみ、十字架の上でキリストが全うした働き、これらを壮大な視点で捉える必要があります。一方私たちに与えられた召しは、神様に与えられた人生の中で、神様のそういった力をただ映し出す事だけです。私たちは神様がしてくれた事に応答しているというわけです。得な話ですよね!この力と愛をあなた自身で生産する事はありません―そんなことをしても絶対に足りるはずがないからです。栄光に輝く神様を仰ぎ見て、そして受けて、そして主への捧げものとして反映(応答)しましょう。