1月25日のメッセージセルフチェック

(イエスは)話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。(ルカ5:4)
今週の聖書個所:ルカ5:1-11

釣り人や漁師たちにとっての夢は、大物を釣り上げること、あるいは大漁の網を引くといった事でしょう。しかし、何も釣れずに一晩中過ごしたペテロと彼の仲間たちは、そういった希望を無くしてしまっていました。そんな彼らにとって絶対にやりたくないことといえば、せっかく網を洗ったのに再び深みに漕ぎ出て、また網を水におろすということだったに違いありません!しかし、イエス様はまさにペテロと彼の仲間たちにそうしなさいと、つまり、不可能に見えることをやってみなさいと言ったのでした。この試みはまだ漁師たちの「大きな夢」を含んでいましたが・・・・・・ひるがえって、今――あなたは、あなたの夢を神様に委ねる事ができますか?もしその夢が叶ったらあなたはどうしますか?そしてそこにイエス様の姿を目撃したらどうしますか?ペテロ、ヤコブ、そしてヨハネはその後、もっと大きな夢を求めるために彼ら自身の夢を岸に置き去りにしてイエス様に従いました。あなたの力を尽くして主を愛するという事は、イエス様と共にもっと深い水に漕ぎ出ていき、時としてあなた自身の夢を置いて、より大きな夢を求める事を伴うのです。

1月18日のメッセージセルフチェック

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。(ヨハネ14:12)

今週の聖書個所:ルカ4:31-44/マルコ5:24-30/ローマ12:1-8

あなたの力を尽くして神様を愛するには、キリストを信じる全ての人たちに与えられているこの「比べようもない偉大な力」を応用する必要があります。その力を応用するということは、すなわち行動すること、それも「実践的」な行動を起こすということです。癒しが必要な状況において自らの手をおく大胆さや、自分の手を汚してでも状況を解決しようとすること——「実践的」な信仰とは、そういったことを通じて、やがて神様が奇跡を起こすための扉を開くのです。
前回、あなたの人生において、あるいはあなたの人生を通してイエス様が奇跡を起こして下さったのはいつでしたか?行動を始める時なのではないでしょうか?
キリストにあって勇敢になりましょう!

1月11日のメッセージセルフチェック

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ローマ12:1)

また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ1:19-21)

神様の力と愛は桁違いです。パウロはただの表現としてそのように書いたのではなく、私たちが生きている現実の世界における事実として書いたのです。どんな科学者も、神様の実際の愛と力を、宇宙にあるいかなる事物とも比べる事はできません。基準点や類似点は何もないのですから。そして、この比べようもない偉大な力は信じる者全てに与えられています。それゆえパウロは私たちに、私たち自身を生きた供え物としてささげてほしいと願っているのです―むしろ懇願さえしているのです。しかしそれを行うに先立って、まず全能の神様、その大きな憐れみ、十字架の上でキリストが全うした働き、これらを壮大な視点で捉える必要があります。一方私たちに与えられた召しは、神様に与えられた人生の中で、神様のそういった力をただ映し出す事だけです。私たちは神様がしてくれた事に応答しているというわけです。得な話ですよね!この力と愛をあなた自身で生産する事はありません―そんなことをしても絶対に足りるはずがないからです。栄光に輝く神様を仰ぎ見て、そして受けて、そして主への捧げものとして反映(応答)しましょう。