1月19日のメッセージセルフチェック

そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」 (イザヤ書 29:13,14) 

イザヤ書では、人は自らの中で神とは誰なのかという点において、そして神を賛美するという点において、その見方を逆さにしてしまったと主は言っている、と続きます。神の計り知れなさへの驚き、畏敬、愛、情熱、尊敬、謙虚さ、そのようなものを神は望んでおられるが、その神への 賛美は形式、義務、日課的なものとなっていたのです。彼らの心は実は神から離れ、離れていることが彼らの神への視点を大きく誤らせました。彼らの目に神は非常に小さいものとなったのです。 失礼だと感じてしまう人もいるかもしれません。しかし、時に、私達人間こそが神に対して失礼なのではないでしょうか?あなたの中での神は何者なのかという理解が逆さになっていないでしょうか?あなたの心は今どこにありますか?神の計り知れなさに圧倒的に驚く心を持つための時を持ちましょう。そして、どんなに神の素晴らしさを想像してみても、それより遥かに素晴らしい主を賛美し始めましょう。私達の主イエス・キリストへの真の賛美は、あなたの視点に現実を運び入れます。神は大きいのです。

1月12日のメッセージセルフチェック

あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。(詩篇8:3、4)

詩篇8、マルコ6:51、52
神の御手が働かれていることに気付いたのはいつのことですか?
自分が想像するより遥かに神は大きい方だということに気付いたのはいつのことですか?
そのことをあなたに気付かせたのはどんな出来事でしたか?
・・・これを思い出すのになぜそんなに時間が掛かるのでしょうか?
ダビデ王が気付きました。神の働きについて思いめぐらすために立ち止まり考える。すると、人にとって神をたたえ賛美することは至極自然なこととなり、神の働きに気付かずにいることは少なくなるでしょう。心を冷たくかたくななものにする引き金となり得るこの世の肉的な様々な問題ばかりに気を取られすぎることなく、神が働いてくださっている様々なことに気を取られる者となる方がずっと良いでしょう。

1月12日 メッセージ

メッセージ 「見るために賛美する」(約61分)

1月5日のメッセージセルフチェック

そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。(マタイ 14:33) 

弟子達は、イエスが水の上を歩き、嵐を静めた奇跡を目撃し、その後心落ち着けてずぶ濡れのペテロと共に揺れない舟の上で、全く濡れていないイエスと共に座っています。何時間も前に岸の向こう側にいた時のイエスの姿とはとても違うようです。 弟子達はイエスを拝み始め、イエスこそが神の子であることを認識しました。 

何があなたにイエスを拝ませるでしょうか?そして、あなたがイエスを讃えることは、どんな風に表現されるでしょう?(例えば:「全く讃える気がしない」「いつもどんな時もイエスを讃えている」「礼拝の時しかイエスを讃えない」「良いことがあった時しかイエスを讃えない」「どんな困難な時にもイエスを讃えている」等々・・・

2013年1月5日 メッセージ

メッセージ 「集中することを学ぶ」(約48分)

12月29日 メッセージ

メッセージ 「希望の中で、飛ぶ、走る、歩く」(約45分)