6月22日のメッセージセルフチェック

私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。
(詩編119:35-37)

今週の聖書個所:詩篇119:33-37/使徒6、7

この詩篇を書いた者は、神様の言葉に従う事に喜びを見出すと書いています。彼の祈りは彼の心が自分勝手な利得やむなしい物事にではなく神様の言葉に向くようにと祈っているのです。それなのに私の場合は、なんと自分勝手な利得やむなしい物にとらわれてしまうことが多いのでしょう!今この瞬間に私は、自分の心が永遠の価値と喜びに向くように神様に祈ります。
今週の聖書個所に出てきたステパノの窮地は普通に見るなら最大の不幸のように見えたでしょう。けれども、怒りに満ち、殺意のあるサンヘドリン(ユダヤ教の最高法院)の宗教指導者たちの前に立ったときのステパノその人がもう普通とはほど遠い人だったのです!聖霊に満ち、天国の光に照らされたステパノは御国の扉が開き神の右の座にいるイエス様を見たのです。イエス様がステパノに手を振ったのかな?と私は思います。その時ステパノはそこにいた人たちに対する反応はただ「見ろ!」という事だけでした。あなたは周りを見渡した時何が見えるでしょうか?というのもあなたが見ている物があなたの心がどこに向き、何に従っているかを決定付けるからです。真の命は神様の言葉を生きることの中に見出されるのであって私たちが知っているただの「命」ではありません。それ以下の物はただそれ以下というだけのものに過ぎないのです!

6月22日 メッセージ

メッセージ 「神の言葉を運ぶ者」

結婚おめでとう!

                二人の上に神様の導きと平安と祝福がありますように!
               そして、素晴らしい夫婦になる努力を重ねていけるように、
                  主が教会を励ましとして使ってくださるように!

6月15日 メッセージ

メッセージ 「神の言葉を運ぶ者たち」

6月15日 恵深(めぐみ) 祝福の祈り



   主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。(聖書)

奇跡を見せて下さる 主が、恵深を通してこの世界に良き働きをしてくださいますように。
どうか恵深を主が召す場所へと導いてください。

6月8日のメッセージセルフチェック

「私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。私は、あなたの戒めに思いを潜め、あなたの道に私の目を留めます。私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。」(詩編119:14~16)

今週の聖書個所:詩編119:1~16/Iコリント3:1、2

そのために働いたり、苦労して得たのではない偉大な宝を楽しむことができるなんて願ったり叶ったりですね!ところが、宝が目の前や、机の上あるいはカバンの中にあるのにあなたが気付かないとしたら、さしずめ悪い夢のように思えることでしょう。神様の言葉を偉大な宝のように楽しむというのは聖書の言葉に思いを潜めるという事から始まるのです。あいにくイエス様はこの事を私たちの代わりにはして下さいません。それは私たち次第なのです。 先日私は膝に怪我を負って入院している友達に会いに行ったのですが、彼は左右に転がる以外は全く動けない状態でした。しかし彼は微笑みながら、神様が申命記を通して彼に思い出させようとしている素晴らしい事について話してくれました。包帯をぐるぐる巻きにされた足をかかえて入院している最中に申命記を読むような人はいったいどんな人でしょうか?それは、神様の言葉を放ったままにせず、むしろそこに埋もれた宝を取り出すために神様の言葉に思いを潜めることを選ぶ人だけです。あなたもヘルメットをかぶり、つるはしを握って今日宝を掘り始めましょう!

6月8日 メッセージ

メッセージ 「富に届く」

6月1日のメッセージセルフチェック

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。(ヘブル4:12,13)

今週の聖書個所:ヨハネ6:41~47/ヨハネ7:37~42

今週の聖書個所の中でイエス様は彼自身が「命のパン」であるという事をあからさまに宣言しています。イエス様が語られたそれらの言葉を受け入れる事は難しすぎたので、弟子たちの多くが離れ去って彼と共に歩かなくなりました。次にイエス様は、12弟子たちに向かって彼らが留まるのか去るのかという率直な質問を投げかけたのです。それは貫かんばかりに鋭く、命に満ち溢れている言葉でした。その時ペテロとその他11人の弟子たちは、都合良く新約聖書を開いてその問いにどう答えるかを検討するようなことはできませんでした。イエス様はそこに立って返答を待っていたのです!
あなたはどのようにして神様の言葉に応答しますか?さらに言えば、神様の言葉に応答できるようになるために時間を取っていますか?もし私たちが時間を取って素晴らしい神様の言葉を開いていないなら、それは聖霊様の助けのもとにイエス様の声を聞くことに時間を使っていないという事になります。私たちは主を待ちなさいと言われていますが、私たちの方が主を待たせてしまう事が多くなってしまいがちです。もうこれ以上彼を待たせる事はやめましょう。神様はあなたと多くの素晴らしい事を分かち合いたいと思っておられるのです!

6月1日 メッセージ

メッセージ 「生ける水の流れる川」