ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。(
コロサイ人への手紙3:5)
今週の聖書個所:コロサイ人への手紙3:1-5
私たちが生きている今の世の中では、マウスをクリックするだけ、あるいは指先を触れるだけで、商品や活動、アトラクションや実際の場所を見たり、さらには体験することさえ出来てしまいます。これらの多くはお手頃な価格で買ったり体験したり出来るのです。気をつけていないと、「永遠」のものによって満たすべき必要を、すぐ入手できる「一時的」な快感で満たそうとしてしまうかも知れません。世界の歴史を振り返ってもこれほど多くの事が短時間で出来るようになった事は一度もありません。欲望、買いだめ、ホッとする食べ物をボリボリと食べすぎること・・・それらは皆がやっている事だからほとんど害はないと思える時があります。けれども神様はあなたをみんなと同じように創ったのではありません。神様はあなたをただ一人のあなたとして創られたのです。そしてこの新しい人生におけるあなたからの賛美と献身を望んでおられるのです。絶えず物を買い続ける事や一時的な快楽を追求する事を神様のかわりとしてしまう時、それが問題になるのです。永遠である「人のすべての考えにまさる神の平安」を求めるには忍耐と努力が必要になりますが、それだけの価値はあります。なぜならそれはほんの一時よりも長続きするうえに、お金もかからないからです!
ホープチャペルは神様の、普通の人も普通でない人も、神の言葉を学び、交わり、パンを裂き、祈りと賛美を通して神様のために働く者となる様に人々を整えるために存在します。 エペソ4:12 ・・・それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり・・・ 使徒の働き2:42、47 ・・・そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。 第2テモテ3:16、17 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
3月14日のメッセージセルフチェック
各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
(第1コリント3:13-16)
今週の聖書個所:第1コリント3:5-17/第1コリント 4:5
パウロがこの聖書箇所の16節で問いかけていることは、私たちがキリストにあって誰なのかを確認することをもう一度思い出させてくれます。それは、私たちは皆キリストの体の一部であり聖霊が私たちの中に住んでいるという事を、信じた者として実感するということなのです。神様に仕えようとする中で私たちはいとも簡単に忙しさに捕らわれてしまい、私たちの人生に対するこの召しそのものがとても特別な仕事であるという事を忘れてしまいがちです。必要なのは、それが一時的ではない永遠の意味を持つかどうかであって、ただ物事を「片づける」だけでは神様には通用しません。日々、キリストにあって自分が誰なのかと言う事を覚えてこそ、あなたは天で喜ばれるような方法で神様に仕ることができるのです。私たちがキリストのために単に何をするかという以前に、「どのようにするか」が突如として問題になるのです。永遠の価値を生み出すようなやり方で主に仕えましょう!それはいつか重要になるのです!
(第1コリント3:13-16)
今週の聖書個所:第1コリント3:5-17/第1コリント 4:5
パウロがこの聖書箇所の16節で問いかけていることは、私たちがキリストにあって誰なのかを確認することをもう一度思い出させてくれます。それは、私たちは皆キリストの体の一部であり聖霊が私たちの中に住んでいるという事を、信じた者として実感するということなのです。神様に仕えようとする中で私たちはいとも簡単に忙しさに捕らわれてしまい、私たちの人生に対するこの召しそのものがとても特別な仕事であるという事を忘れてしまいがちです。必要なのは、それが一時的ではない永遠の意味を持つかどうかであって、ただ物事を「片づける」だけでは神様には通用しません。日々、キリストにあって自分が誰なのかと言う事を覚えてこそ、あなたは天で喜ばれるような方法で神様に仕ることができるのです。私たちがキリストのために単に何をするかという以前に、「どのようにするか」が突如として問題になるのです。永遠の価値を生み出すようなやり方で主に仕えましょう!それはいつか重要になるのです!
3月7日のメッセージセルフチェック
また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。ところ
が、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の
実を結びます。
(マタイ13:22、23)
今週の聖書個所:マタイ13:1~9、(10~15)、18~23/ヨハネ4:21~24
農業の経験はありますか?私もありませんが、ほんのわずかな体験からこのぐらいの事は知っています。農夫は必ず新しい年の種蒔きをする前に土地を整えると いう事です。何の準備もせずに豊作にはならないと言う事を彼らは良く理解しているのです。そしてほったらかしにされている畑の周りや道端には作物がほとん ど実らないということも良く解っているのです。
経験豊富な農夫と違って私たちの多くはほとんど、あるいは全くと言っていいほど心と思考の準備をせずに毎週キリストの名によって集い、神様から何かを収穫できると期待します。そして何も得る事が出来ないと牧師のせいにしたり、挙句の果てには神様のせいにしたりします。
礼拝に集うとき、多くの場合あなたは遅刻していませんか?(賛美の時間を逃している)、くたくたで疲れきっていませんか?あるいはイライラしたり何かの心 配をしていませんか?それとも「キリストの名によって集う事」はすでに忙しいスケジュールを抱えたあなたにとって、追加でやらなければならない事の一つに 過ぎませんか?
目的を持った農夫のように私たちの力が及ぶところ(準備可能な事)に目を向けてみましょう。そしてそれ以外の事について心配するのはやめましょう。
これは悪しき「宗教的な」習慣について言っているのではありません。狙いは神様とキリストの体に対する取り組み方について意識をもってほしいという事で す。神様の恵みを受けられるように心と魂を整えるには、自分がやっていることをなぜしているのか意識する事が必要だからです。神様からの言葉を受け取る準 備をしましょう。そして私たちの人生に豊作をもたらしましょう!
(マタイ13:22、23)
今週の聖書個所:マタイ13:1~9、(10~15)、18~23/ヨハネ4:21~24
農業の経験はありますか?私もありませんが、ほんのわずかな体験からこのぐらいの事は知っています。農夫は必ず新しい年の種蒔きをする前に土地を整えると いう事です。何の準備もせずに豊作にはならないと言う事を彼らは良く理解しているのです。そしてほったらかしにされている畑の周りや道端には作物がほとん ど実らないということも良く解っているのです。
経験豊富な農夫と違って私たちの多くはほとんど、あるいは全くと言っていいほど心と思考の準備をせずに毎週キリストの名によって集い、神様から何かを収穫できると期待します。そして何も得る事が出来ないと牧師のせいにしたり、挙句の果てには神様のせいにしたりします。
礼拝に集うとき、多くの場合あなたは遅刻していませんか?(賛美の時間を逃している)、くたくたで疲れきっていませんか?あるいはイライラしたり何かの心 配をしていませんか?それとも「キリストの名によって集う事」はすでに忙しいスケジュールを抱えたあなたにとって、追加でやらなければならない事の一つに 過ぎませんか?
目的を持った農夫のように私たちの力が及ぶところ(準備可能な事)に目を向けてみましょう。そしてそれ以外の事について心配するのはやめましょう。
これは悪しき「宗教的な」習慣について言っているのではありません。狙いは神様とキリストの体に対する取り組み方について意識をもってほしいという事で す。神様の恵みを受けられるように心と魂を整えるには、自分がやっていることをなぜしているのか意識する事が必要だからです。神様からの言葉を受け取る準 備をしましょう。そして私たちの人生に豊作をもたらしましょう!
2月28日のメッセージセルフチェック
よく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。(第二ヨハネ1:8)
今週の聖書個所:ヘブル12:1-3 / I コリント 9:24-27 / エペソ 2:19-22.
知っていましたか?あなたと神様との歩みが実は競争であり、勝利した者には賞が与えられるということを。これは朽ち果てることのない冠を受け取るための競争なのです。だからこそヘブル書の著者は、足元にすぐまとわりついて私たちをつまずかせてしまう罪を投げ捨てるようにと言っているのです。そして私たちは、人生における真の礎石であるイエス様から目を離さず、(目標のはっきりしない競争ではなく)目的を持って走るようにとも命じられています。毎日朝が来るたびに神様のレーンに並んでスタートラインを踏みきりましょう!
登録:
投稿 (Atom)