ホープチャペルは神様の、普通の人も普通でない人も、神の言葉を学び、交わり、パンを裂き、祈りと賛美を通して神様のために働く者となる様に人々を整えるために存在します。 エペソ4:12 ・・・それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり・・・ 使徒の働き2:42、47 ・・・そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。 第2テモテ3:16、17 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
3月18日のメッセージセルフチェック
確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。・・・たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。(コリント人への第一の手紙12章14-18節)
今週の聖書箇所(コリント人への第一の手紙12章1-30節)
キリストの体の中にある多様性は神様のデザインです。これは、教会に生命を与えるために役割を果たそうとしない私たちの個人的な理由を覆す事実として聖書に述べられています。キリストを信じる者として、あなたは教会の中における、そしてあなたの周囲の世界におけるキリストの働きのために重要な役割を果たしています。あなたの人生におけるこの事実を決して疑わないようにしてください。キリストの体へようこそ。わたしたちホープチャペルウェスト東京はあなたがここに来て役割を果たしてくれることをうれしく思っています。それは世界を変えていくからです!
Now the body (of Christ) is not made up of
one part but of many…And if the ear should say, “Because I am not an eye, I do
not belong to the body,” it would not for that reason cease to be a part of the
body. If the whole body were an eye, where would the sense of hearing be? If the
whole body were an ear, where would the sense of smell be? But in fact God has
arranged the parts in the body, every one of them, just as he wanted them to
be.
(I Cor. 12:14-18)
This week’s reading: I Corinthians 12:1-30.
Diversity in the Body of Christ is by God’s
design and stated as a fact that overrides our personal reasons for choosing
not to play a part in the life of the church. As a Believer in Christ, you play
a vital role in His work inside the church and in the world around you. Never,
ever doubt this fact in your life. Welcome to the Body of Christ, we at Hope
Chapel West Tokyo are glad that you came to play your part because it is
changing the world!
2月25日のメッセージセルフチェック
「あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」 (ルカによる福音書18:14)
こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(コロサイ人への手紙3:1-3)
今週の聖書個所: ルカによる福音書18:14
イエス様が語ったパリサイ人と取税人の話は、今日の教会において真実でなかったとしたら、ちょっと極端すぎるたとえに見えるかもしれません。あなたが礼拝の中に入っていくとき、あなたの心と思いは上にあるものに対して意識して向けられているでしょうか?あなたは自分自身を称賛していますか、それともへりくだってキリストとの交わりに入っていますか?私たちの心と思いが下にではなく天に向いているとき、とても大きな違いが生まれます。キリストの体にある一致は、私たちが意識して主のために自らを死なせ、キリストとともに神のうちに隠されることを選ぶことによってのみもたらされるのです。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
I tell you that this man, rather than the other, went home justified
before God. For everyone who exalts himself will be humbled, and he who humbles
himself will be exalted. (Luke 18:14)
Since, then, you have been raised with
Christ, set your hearts on things above, where Christ is seated at the right
hand of God. Set your minds on things above, not on earthly things. For you
died, and your life is now hidden with Christ in God. (Colossians 3:1-3)
This week’s reading: Luke 18:9-14.
Jesus’ parable of the Pharisee and the tax
collector would seem a bit extreme if it were not actually true in the church
today. When walking into a church service is your heart and mind intentionally
set on things above? Do you exalt your own self or enter humbly into the
fellowship of Christ? There is a very big difference when our hearts and minds
are set heavenward and not downward. Unity in the Body of Christ only happens
when we intentionally allow ourselves to die for Him and choose to be hidden
with Christ in God. Christ is all and in all.
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