1月11日のメッセージセルフチェック

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ローマ12:1)

また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ1:19-21)

神様の力と愛は桁違いです。パウロはただの表現としてそのように書いたのではなく、私たちが生きている現実の世界における事実として書いたのです。どんな科学者も、神様の実際の愛と力を、宇宙にあるいかなる事物とも比べる事はできません。基準点や類似点は何もないのですから。そして、この比べようもない偉大な力は信じる者全てに与えられています。それゆえパウロは私たちに、私たち自身を生きた供え物としてささげてほしいと願っているのです―むしろ懇願さえしているのです。しかしそれを行うに先立って、まず全能の神様、その大きな憐れみ、十字架の上でキリストが全うした働き、これらを壮大な視点で捉える必要があります。一方私たちに与えられた召しは、神様に与えられた人生の中で、神様のそういった力をただ映し出す事だけです。私たちは神様がしてくれた事に応答しているというわけです。得な話ですよね!この力と愛をあなた自身で生産する事はありません―そんなことをしても絶対に足りるはずがないからです。栄光に輝く神様を仰ぎ見て、そして受けて、そして主への捧げものとして反映(応答)しましょう。