神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(ローマ8:14-17)
私たちは神の御国の祝福と宝について語るのが大好きです。そうあるべきです!神様が御子に与えた全ての宝は、神様の子供とされた私たちにも与えられているからです。イエス様が十字架の上でして下さった事のゆえに、私たちはキリストとの共同相続人とされました。そしてイエス様の栄光を分かちあうということは、私たちの行く手にやってくる患難をも分かち合うということを意味しています。試練や苦難はすべて、栄光を分かち合うという特権の一部です。私たちがイエス様と同様なものとみなされるなんて、なんと素晴らしく光栄なことでしょうか!
もしあなたが堅い信仰に基づいて生きていたなら、あなたの人生においては「なぜこうなの?」がより少なくなり、「なぜやってみないの?」がより多くなるはずです。