「そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に活かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかをよく悟りなさい。」(エペソ人への手紙 5:15-17)
マタイの福音書 14:28,29.
あなたの「舟(快適/ゆとり/満足を求める心)」から足を踏み出すには、勇気と信仰が必要です。大胆さも必要でしょう。しかし、それ以上に知恵の効いた信仰が必要です。
パウロが言ったような「キリストにあって愚かである」ことと、「キリストの名において愚かなことをする」のは全く違うことです。
マタイの福音書では、ペテロが水の上を歩こうとした話が書かれてはいるものの、その出来事の中心はペテロではなくイエスであることは明らかです。 ペテロが「舟を出ろ」という命令を求めた相手はイエスであり、事実その命令を与えたのはイエスでした。
多くの人にとってこれはとても基本的なことかもしれませんが、あなたへの神の召しをあなたが知ろうとする時、一体その主体は誰でしょうか?
あなたへの召しを命令するのは一体誰なのか?それをまず知ることは知恵です。そして、それをはっきり知ることがなければ、あなたは誰に聞き、誰に耳を貸すべきなのか混乱することになります。
それが誰なのかをあなたがはっきりと自覚すれば、おのずと神にたずねるべきことがいくつかあなたにはあるはずです。そして、聞きましょう。