9月8日のメッセージセルフチェック

彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ 4:18,19)

「神の召し」というのは、多くの場合その過程にあります。自分の信仰、賜物、情熱、動機を「冷静な判断」で正直に正面から向き合うことが必要です。
聞くこと、そうして、発見すること。そしてあなたが自分で選り分ける必要があるのはわずかなことになります。
先週の礼拝でのメッセージ(あの悲惨な!)を聞かなければならなかった教会の人たちを見て、やはり召しというのはプロセス(結果ではなく途中の歩み)であり、形づくられることであり、挑戦と失敗の中にあるのだということを目撃しました。悲惨なメッセージでしたが、じっと聞いてくれた皆様の愛と励ましの言葉を感謝します!
私たちが、主が望んでおられる者らしくなれるよう、主が私たちをそのように形づくろうとすることをイエス様に許可し続けましょう!