3月22日のメッセージセルフチェック


ガラテヤ人への手紙219-21
しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です

今週の聖書個所:ローマ人への手紙61-14 

今週話したように、新しく買ったスマートフォンは当初私にとっては役立たずでした。しかし、かなり時間はかかったものの、普通の電話にはないスマホの機能をどう活用するかをすこしずつ学んだ結果、この電話は本来そうあるべきだった「スマート(賢い・高機能の)」電話に変わってくれました!他の人たちのようにはまだ使いこなせてはいませんが、この電話は私の仕事や私生活に大いに役立っています。一方、神様が私たち皆に与えてくださっている素晴らしい恵みを誰かが無駄にしてしまっているとしたらどうでしょう。スマホを使えないアナログ人間の笑い話とはもはや比較にもなりません——私たちの代わりに苦しみ、死なれたイエス様の犠牲を無意味にしてしまうのに等しい悲劇です!
パウロがコリント人への第二の手紙6章の1-2節で言っているように、私たちが神様の恵みを無駄に受けたり、だらしない、ゆるんだ恵みに基づいた人生を生きるのをやめるべき潮時はとっくに来ています。
私たちは新しい命を与えられ、イエス様と一つであり、以前は私たちを圧倒し打ちのめしていた物事を無力なものにする力を与えられています。今や、恵みにより、あなたは神様の御心に沿って変わる力が与えられているのです。だとすれば、なぜあなたは、人生の中で使うことのできるこれら全ての機能を使わないのでしょうか?今すぐ始めましょう。私たちは「賢い」恵みを、あなたの中に満ちているキリストによって与えられているのです!