11月22日のメッセージセルフチェック

また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ5:18)

今週の聖書個所:Iペテロ5: 6-11 / エペソ5: 15-18 / マタイ 16:24.

パウロは私たちに、葡萄酒に酔うのではなく聖霊に満たされる事を選びなさいと注意しています。酔ってしまうことは放蕩をもたらすからですが、葡萄酒に限らず、どんなものでも人を酔いしれさせ、神様へとしっかりと心を向けるのを妨げることがあります。何か別の物で酔いしれてしまうかわりに聖霊様に満たされる事を選ぶというのは聖なる選択肢なのです。
その「別の物」とは、仕事かも知れないし、お金のこと、異性のこと、趣味、スポーツ、それともインターネットかもしれません。あるいは、ついつい心配ごとに夢中になってしまうこともあるかもしれません。あなたは、自由な時間を過ごす時にどんなことを考える傾向があるでしょうか?あなたが心を奪われているものは何ですか?あなたは何に飢え乾いていますか?あなたの神様でしょうか、それとも何か他のものでしょうか?
あなたは時折、自分自身を正直にチェックする必要があるでしょう。そうして、魂の乾きを癒すことのできるただ一人のお方にもう一度心を向け直しましょう!イエス様、聖霊、そして御言葉に。

2014年11月22日 メッセージ

「喉が渇いているか?」

11月15日のメッセージセルフチェック

兄弟たちよ。私は、すでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ3:13~14)
 

今週の聖書個所:ピリピ3:12~17

パウロの教えとともに、「思い煩いをいっさい神に委ねなさい」というペテロの勧めは、私たちが主の御心に従って謙虚にそして力強く歩み続けるために非常に重要です。私たちは大抵、自分の過去から学ぶというよりも、過去の中で生きる事を選んでしまいがちです。神様の御言葉は「私たちの思い煩いをいっさい神に委ねなさい」と言っていますが、それには、無論あなたの過去の栄光も、過去に受けた傷も含まれているのです。過去の成功や悲劇の中で生きるということは、今日ある神様の御心の中に移ろうとする私たちの歩みを止めさせたり、足手まといになるだけです。私たちの過去はやり直す事も取り消す事も出来ないのです。ですからイエスキリストを通して与えられた神様の素晴らしい恵みによって、私たちは謙虚に自分の重荷を神様に委ねましょう。神様は私たちの事を大切して下さっているのですから。神様は本当に私たちを気にかけて下さっているのです。

全てを委ね、神様のその思いを受け取りましょう!

11月8日のメッセージセルフチェック


みな互いに謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
(Iペテロ5:5~7)

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。(ヘブル12:1)

聖書には「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです」とあります。生まれつきの性質と戦うには、神様の権威に従ってそうするよりも、プライドをもって立ち上がりあなた自身がその責任を引き受ける方がはるかに力強いイメージがあります。
しかし、自分で自分の状況をコントロールしようとする事をやめられる強さがなければ、神様のやり方、神様のタイミングでその力強い御手の下に移ることはできません。それは私たちが自然にやりたいと思うようなことでも、力を奮い起こしてやってみようと思うような事でもないのです。
ヘブル書の著者がまとわりつく重荷を文字通り「かなぐり捨てろ」と言ったのは当然です。そのような重荷は、ちょうど宇宙から来た金属製の害虫の群があなたの肩にうようよとたかっているようなものだからです。何かに対する心配や不安は、多くの場合肩にまとわりつくエイリアンのような形をとるものです。それらを素早く、力強くあなたの肩から払いのけて(いつまでもそこにくっつけておくべきではありません)神様の召しに従って進みましょう!

11月1日のメッセージセルフチェック

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたのいのちの日は増すからだ。もし、あなたが知恵を得れば、その知恵はあなたのものだ。もし、あなたがこれをあざけるなら、あなただけが、その責任を負うことになる。(箴言9:10~12)

あなたはおしゃべりが好きですか?私は独り言が大好きで、たいてい、なにか間違った事について独り言を言ってしまいます。それを「あざける」と言ってもいい場合がありますが、そういうときは、まさにソロモンが言ったように私だけが「その責任を負う事になる」のです。ソロモンはこうも言いました。「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」。

知恵、知識、そして悟りこそが私の求めているもので、それはまず神様を恐れる事から始まるのです。「主を恐れる」ということは畏敬の念を抱く事に他なりません。その御前から離れる事を想像するだけであなたの心に恐れをもたらす、「神様」という存在の前に感嘆するということです。
神様を怖がるというのとは違います。そこまで辿り着くには時間がかかるかもしれません。そして自分自身に独り言を言うのではなく神様に話をする事にもっと多くの時間を費やすことから始まるのです。
もっともっと心を尽くして主に拠り頼み、それと同時に自分の悟りに頼ることをやめていくのです。そして日々、あなたのする何事においてもイエス様を認めましょう。そうすればすぐにあなたは神様なしの人生なんて想像できなくなります!
コラの息子たちいわく、「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。」(詩編84:10)私たちの内におられる神様のご臨在に、人生の中で大きく働いていただきましょう!