各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
(第1コリント3:13-16)
今週の聖書個所:第1コリント3:5-17/第1コリント 4:5
パウロがこの聖書箇所の16節で問いかけていることは、私たちがキリストにあって誰なのかを確認することをもう一度思い出させてくれます。それは、私たちは皆キリストの体の一部であり聖霊が私たちの中に住んでいるという事を、信じた者として実感するということなのです。神様に仕えようとする中で私たちはいとも簡単に忙しさに捕らわれてしまい、私たちの人生に対するこの召しそのものがとても特別な仕事であるという事を忘れてしまいがちです。必要なのは、それが一時的ではない永遠の意味を持つかどうかであって、ただ物事を「片づける」だけでは神様には通用しません。日々、キリストにあって自分が誰なのかと言う事を覚えてこそ、あなたは天で喜ばれるような方法で神様に仕ることができるのです。私たちがキリストのために単に何をするかという以前に、「どのようにするか」が突如として問題になるのです。永遠の価値を生み出すようなやり方で主に仕えましょう!それはいつか重要になるのです!