3月7日のメッセージセルフチェック

また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。ところ が、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の 実を結びます。
(マタイ13:22、23)

今週の聖書個所:マタイ13:1~9、(10~15)、18~23/ヨハネ4:21~24

農業の経験はありますか?私もありませんが、ほんのわずかな体験からこのぐらいの事は知っています。農夫は必ず新しい年の種蒔きをする前に土地を整えると いう事です。何の準備もせずに豊作にはならないと言う事を彼らは良く理解しているのです。そしてほったらかしにされている畑の周りや道端には作物がほとん ど実らないということも良く解っているのです。
経験豊富な農夫と違って私たちの多くはほとんど、あるいは全くと言っていいほど心と思考の準備をせずに毎週キリストの名によって集い、神様から何かを収穫できると期待します。そして何も得る事が出来ないと牧師のせいにしたり、挙句の果てには神様のせいにしたりします。

礼拝に集うとき、多くの場合あなたは遅刻していませんか?(賛美の時間を逃している)、くたくたで疲れきっていませんか?あるいはイライラしたり何かの心 配をしていませんか?それとも「キリストの名によって集う事」はすでに忙しいスケジュールを抱えたあなたにとって、追加でやらなければならない事の一つに 過ぎませんか?
目的を持った農夫のように私たちの力が及ぶところ(準備可能な事)に目を向けてみましょう。そしてそれ以外の事について心配するのはやめましょう。
これは悪しき「宗教的な」習慣について言っているのではありません。狙いは神様とキリストの体に対する取り組み方について意識をもってほしいという事で す。神様の恵みを受けられるように心と魂を整えるには、自分がやっていることをなぜしているのか意識する事が必要だからです。神様からの言葉を受け取る準 備をしましょう。そして私たちの人生に豊作をもたらしましょう!