信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル12:2)
ピリピ1:1−14
ペテロは舟から出ましたが、風を見た瞬間から新たな問題が発生しました。来なさいと命令したその方から目をそらしたのです。あなたは風に目を向け始めた時どうするでしょうか?
幾度もの嵐を体験したパウロは自分の大変さや状況に目を奪われる事はありませんでした。パウロは主に注目し、主にあって愛した人たちに心を留めました。鎖に繋がれても主をたたえつづけました。それは、たとえ自分が投獄されている状況であっても福音が述べ伝えられることは前進しているからでした。良き働きを始めた方は必ず完成させてくださることを確信していたからでした。人生に与えられる神の召しは、最後の最後にはとても良いものとして完成されることを理解していました。パウロは「生きることはキリストであり死ぬことは益である」と言いました。
誘惑は甘くとも、ギブアップすることを絶対に拒否すること、それは途中がどうであれ最後には最善が神様によって用意されていることを知っているからこそできることです。パウロは風の音より神の召しを選びとったのです。