12月22日のメッセージセルフチェック

それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(ルカ2:17~20)

メリークリスマス!
クリスマスを祝うとともに、神様がそのひとり子イエス様の誕生を通してあなたにして下さった全ての事をもう一度振り返る時間をとりましょう。神様が既にあなたの人生に起こして下さった、そしてこれから起こして下さろうとしている様々な素晴らしい事をイエス様の母であるマリアのように「心に納めて」そしてそれらについて「思いを巡らす」時を過ごすべきだと思います。神様は、それらのことをこの世界をより良いものにするために備えてくださっているのであり、それはあなたが創られた大きな理由の一つだからです。クリスマスは実に喜ばしい日なのです!

12月22日 メッセージ

メッセージ「クリスマス」(約46分)

12月15日のメッセージセルフチェック

「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(第二ペテロ3:8〜9) 

ルカ1:39〜80/ローマ 5:3-5/ IIペテロ3:8 

神様が何かを与えて下さるまで待つのは辛い事だというのは当たり前のことです。けれどもパウロは私たちに苦難も喜びなさいと言っています。神様はそのような苦しみを通して私たちに忍耐や品性そして希望をもたらして下さるからです。そして、神様への希望が失望に終わるという事は決してありません。私たちは往々にして神様の時がまだ来ていないのに神様から何かしてもらいたいと思いがちです。私たちはイエス様がサンタクロースのようでいてほしい、そして毎日がクリスマスの朝のようであってほしいと思うのです!しかし、聖書に書かれているクリスマスの出来事の中で見てきた、本当の謙虚さや、忍耐を伴う神様への信頼は、やがて永遠の影響力を及ぼすことになりました。クリスマスの話の中には、自らの人生全てをかけて神様を待った幾人かの謙虚な人たちが出てきましたが、あなたは「他人を待つ」という点において、また「神様が何かを与えて下さるまで待つ」という事に対してどのようでありますか? 謙虚に、そして忍耐強く神様を待つ事ができるということは十分に成熟しているという事の表れなのです。

12月15日 メッセージ

メッセージ 「主は恵み深い」(約59分)

12月8日のメッセージセルフチェック

主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。(詩篇 37:7) 

マタイの福音書14:22-32/ ルカの福音書 1:26-38, 39-56

マタイの福音書の中に、イエスが明け方近い時間になってから恐れおののく弟子のところへ向かう場面があります。嵐を静める前に、弟子達を嵐の中待たせたのです。 ペテロが水の上を歩く奇跡、そして恐れ、水に沈みかけた時には、イエスは「すぐに」行動を起こしペテロを救いました。舟に戻り、それからやっと嵐は静まりました。 弟子達はイエスをたたえ、イエスこそ神の子であると確信します。 イエスが嵐の中やってくるには、あなたが耐え忍んでイエスを待つことが要求されます。 
 あなたは4番目の時間帯まで(ローマでは夕方6時から朝の6時までの12時間を4つの時間帯に区切っていました。)じっくりと主を待つことができますか?
自分が誰であるのかあなたのアイデンティティは、あなたが主を待つということに関してどのような影響を与えているでしょうか?

12月8日 メッセージ

主を待つ とは?(約57分)

12月1日のメッセージセルフチェック

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ 12:2)

ルカ 1, ローマ 12:1,2.
ルカの福音書でクリスマスの出来事が書かれていますが、ルカはザカリヤとエリサベツが主の目の前でまっすぐに立っている人々だったことをまず最初に書いています。彼らは本当に望んでいたものをまだ手にすることができていなくても、主を信じて、やめることなく主の道を歩き続けました。子供を望む祈りにこたえられなくとも、神とともに生きる夫婦でした。
 

「あなた」とは、あなたが何を考えている者か、なのです。
あなたがどういう者なのか、それはあなたの考えに表れます。
それでは、あなたはどんなことを考えるのに時間を使っていますか?

あなたの思考をどんなことで満たそう、もしくは満たさないように、としていますか?
どんなことに自分の思考をさらしているのかを意識したことがありますか?
それらはあなたの考え方や、感情、態度、行動、反応、そしてどこを向いて生きていくのか、それらに大きな影響を与えます。
 

ザカリヤとエリサベツは神によって使われることができる場所に常に自分たちの身を置いていました。
イエスは、「良い木は悪い実をつくらない。悪い木は良い実をつくることができない。」と言いました。どんな場所に木の根を張らせ、どんな栄養を摂らせるのか?その木の置かれる環境はどんな環境なのか?


あなたの人生には良い実がなっていますか?悪い実がなっていますか?あなたの心の根を張らせている場所は十分に栄養のある場所でしょうか?