10月27日のメッセージセルフチェック

人の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及ぶ。 (詩篇 103:15-17)

神に従うためにリスクを負うことは、ただ無茶なことをするのとは全く違います。
あなたの人生における神の召しに関してあなたが持つ恐れに対してあなたはどう対処していますか?
あなたの子供時代に、あなたは恐れについてどんなことを体得しているでしょうか?
あなたが体得してしまったそれは、あなたの行動や決断にどんな影響を与えていますか?
それはどのくらいの間そこに居座っているでしょうか?
ダビデが詩篇で書いた言葉は、主イエスとの関係は永遠であって、この地上での人生は限りある時間だということを思い出すようにと教えています。信仰において舟から出ることを遅らせようとする「恐れ」に力を与えるのはやめましょう。時間はあまりないのですから。

10月27日 メッセージ

2012.10.27 前向きに失敗する(約50分)

10月20日のメッセージセルフチェック

しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。(マタイ 14:27)
恐れは色々な姿になって表れます。心配するということも恐れの1つの形です。思い悩んで心配すること(たいていは未来のことです)は、今日この時の喜びを奪っていきます。恐れは、神と人との親密さを奪っていきます。恐れは、神に出来ることに限界を持たせ、人生の目的を失わせます。
あなたの人生における神の召しによって、自分の持っている恐れに直面させられます。しかし、ペテロの様に、あなたはそれらの恐れと格闘する必要があり、恐れを倒すことでそうして初めてイエスの力強い臨在を更に体験することができます。 若い女中に、イエスなど知らないと言ったペテロは、その後何千もの人々に神の良い知らせを宣言し教会の誕生となりました。 ペテロは立ち直り、兄弟達を励まし強め、イエスがイエスの教会を立てるための「岩」となったのです。ペテロは神の自分への召しを全うしました。
あなたが最も恐れていることは何ですか?その恐れとはとても高い代償だと感じていますか?恐れを感じながらも、それでもやるべきことをやるという第1歩はあなたにとって何でしょうか?
イエスはあなたと共に居て、今週どんなひどい嵐が起ころうともも打ち勝つことのできる主です。心穏やかに。

10月20日 メッセージ

2012.10.20  恐れるな (2) (約56分)

10月13日のメッセージセルフチェック


しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。・・・ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助け手ください。」と言った。(マタイ14:27−30)

ルカ22:14−62
ペテロはイエスとの最後の食事の場所で大胆なことを言っていました。ペテロが思い描いていたことと、神がイエスに与えた計画は違ったものでした。状況が変わっていく中で、その状況はもはや神は働かれておらず神の手にもおえない状況なのではないかと思わせるもので、ペテロの計画も変わっていきました。恐れがペテロの口にする言葉を導き、ペテロの行動を引っ張っていくようになります。そして女中の若い女の子の質問に対する答えもまた恐れによるものでした。鶏が鳴いた時、イエスはペテロと目を合わせ、ペテロは外に出て激しく泣きました。ペテロにとって、主を本当に心から愛していたからこそ体験した痛みに満ちた体験でした。恐れがペテロを支配したのです。それは珍しいことではありません。今日でもそうです。
恐れと逃避は習慣となり、人生が恐れと心配に満ちたものへとなっていくのです。

あなたと主の歩みをみてください。あなたの日々の行動や選択は「恐れ」を土台にしたものになっていませんか?
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何か自分にとって難しく心地よいものではないからという恐れが理由で先へ延ばしていることがありませんか?しっかりと向き合わなければならない内なる恐れを、聖霊が明らかにしてくれることようにといのりましょう。主はあなたを見捨てません。絶対に。

10月13日 メッセージ

2012.10.13 恐れるな(約55分)

10月6日のメッセージセルフチェック


信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル12:2)

ピリピ1:1−14
ペテロは舟から出ましたが、風を見た瞬間から新たな問題が発生しました。来なさいと命令したその方から目をそらしたのです。あなたは風に目を向け始めた時どうするでしょうか?
幾度もの嵐を体験したパウロは自分の大変さや状況に目を奪われる事はありませんでした。パウロは主に注目し、主にあって愛した人たちに心を留めました。鎖に繋がれても主をたたえつづけました。それは、たとえ自分が投獄されている状況であっても福音が述べ伝えられることは前進しているからでした。良き働きを始めた方は必ず完成させてくださることを確信していたからでした。人生に与えられる神の召しは、最後の最後にはとても良いものとして完成されることを理解していました。パウロは「生きることはキリストであり死ぬことは益である」と言いました。
誘惑は甘くとも、ギブアップすることを絶対に拒否すること、それは途中がどうであれ最後には最善が神様によって用意されていることを知っているからこそできることです。パウロは風の音より神の召しを選びとったのです。

10月6日 メッセージ

2012.10.6  風を見る(約48分)

9月29日のメッセージセルフチェック

さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われた。 (使徒の働き 9:10)

使徒の働き 9:1-19/ ルカ 18:18-30.
あなたの足を濡らすには、まずあなたが舟を出なければなりません。舟を出るには、あなたの快適なエリアから出なければなりません。一日の始めに、どこに一歩を出すべきなのかを信仰においてイエス様に尋ねることは、あなたの狭い快適エリアの境を広げるための助けとなります。
「恐れ」はあなたの「安全で快適な舟」を出るための最大の壁です。そして、まさにあなたが恐れている場所こそが、神が神に従う者に命じる場所であることが多いのです。なぜなら、神はあなたにその恐れに打ち勝つことを望まれておられるからです。
ルカの福音書18章には、裕福な青年が、永遠の富と引き換えに自分の財産を手放すことの恐れに打ち勝つことができなかった話が書かれています。彼はイエスの召しに従わずに歩き去ることを選びました。その一方で、使徒の働き9章には、アナニヤが主の命令に従うために恐れを乗り越えた話が書かれています。アナニヤはサウロという非常に危険な男に近づくのがどんなに危ないことかを知っていました。しかし、アナニヤは、「まっすぐ」という道をサウルに手を置き祈るために歩いたのです。その道を歩いて向かうことは、主と共に歩く水上の歩みであったはずです。
アナニヤが主の命令に従い、逃げず、恐れを乗り越えて、その道を歩いたことを、私は本当に心から嬉しいと思うのです!