主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。(エレミヤ10:23)
今週の聖書個所:使徒の働き9:1~22
エレミヤの祈りの中にある「人間」という言葉を自分の名前に置き換えてみてください。するとこの祈りはあなたの生き方とどのように一致してくるでしょうか?
罪を告白するとかいう事ではなくあなたの状態を理解する事や気づくという事を私は言っているのです。そうすることで神様や、神の教会、神のミニストリー、そして神様のために生きるべく与えられている召しに対する葛藤を減らす事ができるのです。
パウロは、自分が何者だったのか、キリストにあってどのような者になったのかという事について、強烈で、驚くほど謙虚な気づきにたどり着きました。権力があり恐ろしいという自分の評判や、有力者の集団や大祭司たちの権威が、天から下った目をくらませるほどの光とイエス様の臨在により色あせてしまったのです。これにより、多くの人から恐れられた男は地面からつまみあげられ、言葉を失った男たちの手によって子供のようにダマスコに引かれて行きました。しかしこういった短期的な結果のあとに、イエス様によって打ちのめされたことの長期的な効果が現れました。それは聖霊の満たし、見る力、そして福音を伝えるために神様の道具として選ばれるという神聖なる名誉だったのです!
わたしたちもぜひ、このように打ちのめされるべきです。実り多い人生のために、毎日一回これを受けることをお勧めします!