ホープチャペルは神様の、普通の人も普通でない人も、神の言葉を学び、交わり、パンを裂き、祈りと賛美を通して神様のために働く者となる様に人々を整えるために存在します。 エペソ4:12 ・・・それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり・・・ 使徒の働き2:42、47 ・・・そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。 第2テモテ3:16、17 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
11月17日 セルフチェック
門よ。おまえたちのかしらを上げよ。
永遠の戸よ。上がれ。
栄光の王が入って来られる。
栄光の王とは、だれか。
強く、力ある主。
戦いに力ある主。
門よ。おまえたちのかしらを上げよ。
永遠の戸よ。上がれ。
栄光の王が入って来られる。
その栄光の王とはだれか。
万軍の主。これぞ、栄光の王。(詩篇24:7-10)
恐れは、抱えこむのに苦労する、ずっしりとした重荷になる可能性があります。心の門を開け放ち、恐怖により支配されたエリアに、力強い、全能なる栄光の王を招き入れるには、多くの努力を必要とするでしょう。どうか私たちが、自分を守ってくれると信じていた分厚い門を、ただ単に守ってくれるだけでなくそれ以上のことを約束し、また私たちの成すことすべてを祝福してくださる栄光の王の御前にささげ、開くことができるようにさせてください。
Lift
up your heads, O you gates; be lifted up you ancient doors, that the King of
Glory may come in. Who is this King of Glory? The Lord strong and mighty, the
Lord mighty in battle. Lift up heads, O you gates; lift them up, you ancient
doors, that the King of Glory may come in. Who is He, this King of glory? The
Lord Almighty – He is the King of Glory. (Psalm 24:7-10)
Fear
can be a heavy burden to carry. It takes much effort to open the gates of the
heart to allow the strong and mighty King of Glory into the areas where fear
rules. Let us lift open the heavy gates that we thought would protect us and
allow the King of Glory who promises to do much more than simply protect but
also bless all that we do.
11月10日 セルフチェック
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
(ヘブル人への手紙13:8)
神の愛、哀れみ、そして御恵みは、この世の始めから変わっていません。それらは、いつでも、今まさに溢れんとするばかりです。ですから、私たちのキリストにある希望もまた、変わる必要がありません。私たちは、イエスが決して私たちをあきらめたりはしないという事実の中に、いつでも安らぐことができるのです。
Jesus
Christ is the same yesterday, and today, and forever. (Hebrews 13:8)
The
love, mercy, and grace of God has not changed since the beginning of time. It
has always been at the point of overflowing. Neither does the hope that we have
in Christ need to change. We can always rest in the eternal fact that Jesus
will never give up on us.
11月3日 セルフチェック
ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。(ピリピ人への手紙3:13、14)
今週の聖句:ピリピ人への手紙3章
私たちの国籍は天にあるとパウロは書いています。今目の前に見えることだけに捕らわれないように、何を後ろに忘れ、何を覚えているべきなのかを、しっかり学べるように自分を霊的にしつける必要があります。自分の罪が完全に赦されていることを思い出し、神の恵みによって生きることを命じられています。自分を落ち込ませるような過去のこと、すなわち、自分の限界、罪悪感、弱さ、後悔、それらをしっかりと後ろに置いて、主イエス・キリストに降伏しなければなりません。そうして前に進みなさい。
But
one thing I do: Forgetting what is behind and straining toward what is ahead. I
press on towards the goal to win the prize for which God has called me
Heavenward in Christ Jesus. (Phil. 3:13,14)
This
week’s reading: Philippians 3
Paul
reminds us that we are Heaven-bound citizens. In order not to get too attached
to the here and now, we are to practice the spiritual discipline of learning
what to remember and what to forget. Remembering that we are completely
forgiven of our sins and called to live by the grace of God. And also to forget
that which is in our past that can weigh us down – our limitations, guilt,
weaknesses and regrets. We are to surrender them all to the Lord Jesus Christ
and then remember to press onward.
10月27日 セルフチェック
さて、信仰は望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
(ヘブル人への手紙11:1、2)
長い年月ともに過ごした教会の家族を突然失うことは信仰において大きな試練です。今この世界で自分が過ごしている今の時間や体験だけが人生/命なのではない、という現実についてもう一度目覚めさせられます。
毎日の目の前のことばかりに翻弄されずに、永遠の視点を持って自分の人生/命を生きることを忘れないようにしましょう。
毎日の目の前のことばかりに翻弄されずに、永遠の視点を持って自分の人生/命を生きることを忘れないようにしましょう。
Now faith
is being sure of what we hope for and certain of what we do not see. This is
what the ancients were commended for. (Hebrews 11:1,2)
There is
no greater test upon your faith than the sudden loss of a longtime church
family member. It awakens you to the reality that most of life is more than
what we see and experience in the here and now. Let’s us not forget to live
life with an eternal perspective.
10月13日 セルフチェック
「しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます。」(ヨハネの福音書16:16)
「あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあながたから奪い去る者はありません。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。」
(ヨハネの福音書16:22,23)
“しばらくすると”というフレーズは、私たちが生きる、この、ペースの速い、相互に関連した世界において、聞いて楽しい言葉ではありません。しかしこの言葉が神と共にあるのであれば、しばらく待つということに、確かな目的とご計画があります。想像してください、こんな日のくることを。何事も何者も、あなたの喜びを奪い去ることはできません。そして、そこにはどんな疑問の余地さえないのです。待ちきれないですか?大丈夫、ほんの“しばらく”待つだけです。
“In a
little while you will see me no more, and then after a little while you will
see me…So with you: Now is your time of grief, but I will see you again and you
will rejoice, and no one will take away your joy. In that day you will no
longer ask me anything.” (John 16:16,22,23)
“In a
little while,” is a phrase that we do not enjoy hearing while living in a
fast-paced, inter-connected world. But with God, there is a purpose and plan
for waiting a little while. Imagine a day, when no one or no thing will be able
to take away your joy and there will be no more questions. Can’t wait? In just
a little while this day we come.
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