5月12日のメッセージセルフチェック

主はこう仰せられる。「あなたは隠れて、それをしたがわたしはイスラエル全部の前で、太陽の前でこのことを行おう。」ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたを赦してくださった。あなたは死なない。」
 2サムエル記 12:12/ 箴言 14:4/ 伝道者の書 11:4-6.


PART1) 神は、あなたと安っぽい駆け引きゲームをすることに興味はありません。神は怒るのに遅く、すぐに赦してくださろうとします。神は悪い行いを裁きます。それは、罪を犯した人にすぐに悔い改めを求めるということであって、罪を除こうとする、ということです。主の前に自ら差し出すべき隠された罪はありませんか?神はあなたにいつでも神の御前で清くあって欲しいと望んでいます。 赦しも自由も、あなた次第で受け取ることができます。

PART2) ダビデは言った。「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、主が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか?私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」 (2 サムエル記 12:22,23)

ダビデは神に「あなたの子は死ぬ」と言われて、ただ嘆き泣いて自分を憐れみ何もせずに座っていたわけではありません。自分の間違った行いに対する神の裁き、すなわち自分の子どもの死という決定ではあるけれども、断食をして何とか子どもを救ってはくれないかと主に泣き叫び懇願しました。ダビデの息子であるソロモンは箴言と伝道者の書において、この視点について書いています。 神がはっきりとその御心を示すまでは、ダビデは全ての可能な限りの選択肢全てにトライする気持ちをもっていました。そして痛く厳しい決定が神様によって下された時、ダビデは謙虚にそれを受け止め、神を賛美し、また人生のスタートを切ったのです。 日々の生活においても、ミニストリーにおいても、整った条件を待っていたら、何もできません。そして人生に何の実りも成らないでしょう。「これがうまくいくか、あれがうまくいくか、もしかしたらどちらもうまくいくかもしれない」という聖書の言葉の通りです。(伝道者の書 11:6)