2月23日のメッセージセルフチェック

“ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。” (ローマ 5:1,2)
ルカ 15:11-32/ 1 ヨハネ 1:5-10.

放蕩息子のたとえ話をイエス様は話されました。この話で表されるような愛を実際に体験することは非常に珍しいことでしょう。どんな過去の行動があったとしても父親は息子への愛の方がそれよりも勝ったのです。事実、放蕩息子が無駄にしてしまったのは「お金」というただの物質的なものではなかったのですから、彼自身が自分で返すことなどできるはずもなかったのです。父親が息子を可哀想に思う同情的な愛が、息子の間違った行いを完全に赦すことになった、ただそういうことなのです。犠牲を払って望む資格もない者に与えられる贈り物、そして贈り主は犠牲を払って贈っているのです。それが「恵み」と呼ばれるものです。神は恵みを与える究極の提供者であり、神の一人子の罪のせいではなく私たちの罪のために一人子イエスをいけにえとされました。
「はい、もうそれは知っています。」あなたはそう言うでしょう。でも、本当にあなたは知っているのでしょうか?
神とあなたの関係において、あなたは最近何の上に立っていますか?罪、罪悪、不義への後悔、そしてもう二度としないという決意、、、そういったものに私たちの多くは応答します。私たちは物事を解決しようとしたり、新しく立派なことを約束したりしますが、そのような努力だけでもう自分が既に犯してしまった罪悪を取り去ることはできないのです。
あなたは自分の努力の上に立っているのでしょうか?それとも神の恵みの上に立っているのでしょうか?

2月13日 メッセージ

メッセージ 「同情的な愛」

2月16日のメッセージセルフチェック


父は彼に言った。「おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」 (ルカ 15:31,32)

ルカの福音書 15:11-31.
ここに出て来るある息子の話。父から離れ、家から離れ、豚と一緒に泥まみれになり、彼はやっと我に返る。全てを浪費した後、父のもとを去ってしまう前は必要なものを全て持っていたことにやっと気付くのです。また、天に対して罪を犯したことに気付き、悔い改めの道、家路へと向かいます。そんなところへ行ったことがありますか?それがどんな気持ちだかを覚えていますか?
息子が家に帰り、父との再会の時に示された父の情け深い愛より素晴らしいものはありません。天も、そして畑のもの全てもがいなくなってしまった息子が帰ってきたことを祝いました。一日中祝いは続きましたが、それは父の無条件の愛によるものであり、父のその愛だけがその息子をそこにとどまらせるのです。

何があなたを畑にとどまらせますか?
あなたは常に父から祝いの音を必要とし、情け深く哀れみ深く恵み深い神の愛を楽しみ喜ぶために、自分が家にいることを神が自分に思い出させなければならないのでしょうか?
一番良い着物と心地よい靴、そしてあなたが家にいることを示す指輪を喜び、神の家族の中で生きていることを自ら喜ぶべきです。

2月16日 メッセージ

メッセージ: 「我に返る」

2月9日のメッセージセルフチェック

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 (1ヨハネの手紙 4:7)

ヨハネの福音書 3:16/ I コリント人への手紙 13:4-8.
神を愛することを学ぶ前に、愛は神から始まるのだということを理解する必要があります。まず神が私達を愛し、神の一人子を通して愛は完了されました。 神や人を愛することを考える時、私達は時々どこかで自分の好きなものだけ選り好みすることがあります。 しかし、神において、そして神のあなたと私への無条件の愛においては、それは真実ではありません。この真実を私達自身が見えなくして、何かを「する」とか「しない」とかというリストを用いて複雑にし 、真実を私達自身が隠してしまいます。そしてその過程において、それらが私達自身の重荷となってしまいます。
パウロは自分を取り囲むことができるのはキリストの愛だけだと言いました。(2コリント人への手紙5:14)
究極の土台であり、驚くばかりにシンプルです。
イエスと共に歩く時、あなたを取り囲むものは何ですか?
それは神の無条件のあいですか?それとも他の何かでしょうか?
本当の自由や喜びを私達に与えようとして神が備えてくださった、神と あなたのあるべき愛の関係に立ち戻りましょう。

2月9日 メッセージ

メッセージ 「それは神から始まる」

2月2日のメッセージセルフチェック

イエスは答えられた。「一番たいせつなのは、これです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は唯一の主である。』」 (マルコの福音書 12:29)

全ての命令の中で、どれが最も大切なものかという質問に対してイエス様はその答えに答える前に、この言葉をまず世界の土台である真実として語っています。『われらの神である主は唯一の主である。』と。
そこに居る者に対して、イエス様は世界に神である主は一つだけだということを、決して間違えることのないように宣言しています。
「神である主」を、心を尽くし、知性を尽くし、力を尽くして愛することがどういうことなのかを学ぶ前に、神である主は唯一の主であるということを理解する必要があります。
そんなことは当たり前だとあなたは思うかもしれません。しかし、本当にあなたの心と知性と魂と力は神様のものだと言えますか?
あなたの心、あなたの知性(思考)、あなたの魂、あなたの力、この4つの部分についてよく考えてみましょう。それらは全て神様のものでしょうか?ばらばらに分割されたり一部だけが神様のものになっていたりしていないでしょうか?
あなたの情熱や注目やエネルギーは一、一体何に捕らえられているのですか?

2月2日 メッセージ

メッセージ 「最も大事な命令」

1月26日のメッセージセルフチェック

“それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。” (エペソ 4:12,13)
 

使徒の働き 1, 2/ エペソ 1:15-23/ エペソ 4:11-16.
 

最初のころのクリスチャンたちのことを考えると、彼らは神の言葉、交わり、食事を共にすること、祈り、それらにその身を捧げていたのがわかります。彼らは必要としている者には与え、食事を共にすることに多くの時間を費やしていました。それらの時間を喜びの心と誠実な心を持って行い、主を本当に心からあがめていました。そして、神の奇跡を体験し、神に対する畏敬の念で満たされていました。言葉で聞くと、これらはとても楽しそうに聞こえます。しかし、それらのことは全てある目的のために行われていました。それらのことは全て、神を信じる人を整え、神と共に生きる素晴らしい人生を生きることができるようにし、神の目的をこの地上で行うためです。
教会が存在する目的は何でしょうか?それは、私たちが、自分が自分の人生を貪欲に生きるためではなく「キリストの満ち満ちた身たけにまで達するため」です。

1月26日 メッセージ

メッセージ 「満ち満ちたみたけ」