2016年3月26日 メッセージ

「他の奇跡」

3月19日のメッセージセルフチェック


イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:13)

私は先日、妻と一緒に半日ぶらぶらと歩いて過ごしました。お花見をするにはまだ早い時期だったものの、子どもたちは皆学校に行っており、二人ともちょうど暇だったうえに、散歩をするにはもってこいの日だったからです。私のほうで何かキリストに捧げものをした訳ではありませんが、間違いなくたましいにとって良い事でした。イエス様と久子と一緒に歩く―これ以上の良い事があるでしょうか!私は通常、一人でイエス様と長い散歩をすることもありますが、その影響はほとんど同じです―たましいはイエス様に休息と平安を見出すのです。ザーザーと流れる滝に打たれ修行している人のようなパッと見のインパクトはありませんが、それでもこの方法は自分にとって役に立つ霊的な習慣なのです。たましいは、神様にしか提供できない種類の休息をいつも必要としています。そしてその休息は、あわれみに満ちた人生を生きるために必要な恵みで再びたましいを満たしてくれるのです。もしも人生が神様に対するいけにえを捧げること(義務)の連続だと感じているなら、もう一度確かめてみてください。あわれみは、そこにあるでしょうか?そして、イエス様と一緒に散歩したり、ハイキングしたり、走ったり、公園の中をぶらぶら歩いたりするべき時なのかもしれません。あなたの人生に必要な恵みやあわれみを補充してくれるのはどんな活動でしょうか?案外それは、身を切るような犠牲を捧げることや、凍えるような滝行を通じた厳しい自己否定などではないかも知れませんよ。  


Jesus said, “It is not the healthy who need a doctor but the sick. But go and learn what this means; ‘I desire mercy, not sacrifice.’ For I have not come to call the righteous, but sinners.” (Matthew 9:13)

I spent half a day cruising with my wife the other day. All the kids were in school, it was a good day for a long walk and we both happened to be free. Too early to see the cherry blossoms but it was okay. It wasn’t a sacrifice made for Christ on my part but it was definitely good for the soul. Walking with Jesus and Hisako – it doesn’t get better than that! Normally, I’ll take long walks alone with Jesus but the effect is ALMOST the same – the soul finds rest and peace in Jesus. It may not have the visual impact of sitting under a rushing waterfall but it is a spiritual practice that works for me. The soul is always in need of a form of rest that can only be provided by God. A rest that also replenishes the soul with the grace needed to live a life of mercy. When life feels like a series of sacrifices (obligations) for God, it’s time to check and see if mercy is present? It may be time for a walk, a hike, a run, or a stroll in the park with Jesus. What activities refill you with grace and mercy for life? It may not always involve sacrifice or denial under a freezing waterfall! 

 


2016年3月19日 メッセージ

「栄養/支え となる恵み」

3月12日のメッセージセルフチェック


すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11:28-30)

今週の聖書個所;マルコ1:9-13

毎日、適度な休憩が必要であるということは分かりきったことですが、それをどうやって得るかという事については明確ではありません。生活の中で必要な休息は、肉体的、精神的、あるいは情緒的な休息以外に、霊的な休息というものも必要です。その霊的な休息こそが他のすべてを支える基礎となります。毎日が忙しく、慌ただしく、ストレスが多い、そんな私たちに、イエス様はその休息を差し出し、そこに入るよう招いてくださっているのです。完全なる恵みへの招待状、それはただで受ける事ができるものです。なぜなら、あなたはイエス・キリストを通して父なる神に無条件に愛されているからです。今日、あなたがイエス様の招待を受けるという選択は、あなたがこの一日の間にとるすべての種類の休息に影響するのです。

“Come to me, all who are weary and burdened, and I will give you rest. Take my yoke upon you and learn from me, for I am gentle and humble in heart, and you will find rest for your souls. For my yoke is easy and my burden is light.” (Matthew 11:28-30)

This week’s reading: Mark 1:9-13.

It seems obvious enough that proper rest is needed every single day. What is not so obvious is how to get it. Along with the physical, mental, and emotional rest essential for life comes the spiritual. It is foundational and supports all the others. Jesus offers it to us every busy, hectic, and stressful day in the form of an invitation. Absolute grace offered in the form of an invitation free for the taking because you are unconditionally loved by the Father through Jesus Christ. Your choice to accept Jesus’ invitation today will affect all other forms of rest in your day.
 



3月12日のメッセージ

「恵みを受け入れる」

3月5日のメッセージセルフチェック


ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第2コリント5:16、17)

今週の聖書個所:第1テサロニケ  2:13-16 / 第2 コリント 5:14-21.

クリスチャンとして私たちは皆、神様が見守ってくださると教えられてきました。最初は「神様は私を見守っていて下さる」という心地よさと安心感があります。しかし神様と歩むにつれ、それが恐れに変わる時があります―「神様が見張っている!」だから自分は気をつけなければいけない、と思ってしまうのです!本当のところは、神様と私たちの距離は思っている以上に近いのです。神様は私たちと共におられ、私たちの事も、私たちが見ているものも見ておられるのです。一瞬一瞬あなた自身の前に神様を置くという行為によって、イエス様が見ているものが見えて来るようになります。人々や出来事に対するあなたの個人的な視点が、神様ご自身のものの見方に変わるのです。神様の目を通して世界を見る事によって、人や出来事との関わり方が変わっていくのです!神様のご臨在に留まり、本当に見る事を始めましょう!

“So from now on we regard no one from a worldly point of view. Though we once regarded Christ in this way, we do so no longer. Therefore if anyone is in Christ; he is a new creation; the old has gone, the new has come!” (2 Corinthians 5:16,17)

This week’s reading: I Thessalonians 2:13-16 / 2 Corinthians 5:14-21.

As Christians, we have all been told that God watches over us. Initially there is a sense of comfort and safety knowing that “He watches over me.” At other times in our walk with Him; there may be a sense of fear that I need to be careful over what I’m doing because like Big Brother – HE WATCHES OVER ME! The truth is that God is much closer than we normally realize. He is with us, he sees us and sees what we see as well. Setting the Lord before yourself on a moment by moment basis allows yourself to begin to see what Jesus sees. It begins to transform your own personal view of people and circumstances into His. It changes the way you interact with others and events by seeing the world through His eyes! Stay in His presence and begin to really see!




2月27日のメッセージセルフチェック


私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(詩篇16:8)

 今この瞬間、あなたは誰を、あるいは何を自分の前に置いていますか?あなたの側にいるのは誰ですか?周りの状況に振り回されないことを選択するには、あなたの前に主を置く、という習慣が必要です。毎日、繰り返し、繰り返しそうするのです。さあ始めましょう、主は待っておられます。あなたの一日を、主ご自身の日としていただくことで最高の一日にしましょう。

“I have set the Lord always before me. Because He is at my right hand, I will not be shaken.” (Psalm 16:8)

Who or what is set before you at this moment? Who is at your side? The choice to not be shaken by your surroundings involves the practice of setting the Lord before you again and again and again each day. So, go ahead, He is waiting to make your day, His day!

 



2月20日のメッセージセルフチェック


わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。私を離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15:5)

今週の聖書個所;創世記 2:8-10 /使徒 2: 42-47.

ときとして、人生において最も明らかな事が全く知られずに長い間が過ぎてしまうことがあります。これはキリストにおける私たちの人生でも真実です。私たちは大きな木の幹に繋がっている枝のようだとイエス様は教えています。もし私たちが神様と一緒にとどまるなら私たちの人生は多くの実を結びますが、もしも離れる事を選んだなら、そうはなりません。この言葉は私たちを愛してくださり、共に歩く事を楽しまれるお方である神様からの厳しい言葉です。
イエス様はただ単純に神様にとどまりなさいと言っているのですが、私たちは多くの場合キリストのためにと言って日々あくせくする事を選びがちです。そんな時、私たちは実際には神様を後ろにおいて走り去ってしまっているのです!イエス様はこんな私たちの生産力を実り多いと思ってくださるでしょうか?
遠い昔に神様は、園の木の間に隠れていたアダムとイブに「あなたは、どこにいるのか」と呼びかけました。神様にそんなことをさせる必要はもうないはずです。毎日絶えず神様の臨在の中にとどまる事を習慣にしましょう。そして実が落ちないように気をつけましょう!

Jesus said, “I am the vine; you are the branches. If you remain in me and I in you, you will bear much fruit; apart from me you can do nothing.” (John 15:5)

This week’s Reading: Genesis 2:8-10 / Acts 2: 42-47.

Sometimes the most obvious things in life can go unnoticed for a long time. This stands true with our life in Christ. Jesus tells us that we are like the branches connected to the trunk of a great tree. If we choose to remain in Him, there is much fruit in our lives but should we choose to set ourselves apart from Him – not much. Tough words of truth from a loving God who enjoys a good walk together.
The call of Jesus is to simply remain in Him and yet we so often choose to power through our days for Christ – leaving Him behind in the dust! I wonder if Jesus would describe our productivity as fruitful?
A long time ago, God called out to Adam and Eve in the cool of the garden, “Where are you?” while they hid behind some trees. He shouldn’t need to do this with us anymore. Let’s practice staying in His presence in every moment of every day and make sure to watch out for falling fruit! 
 

2月13日のメッセージセルフチェック


あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。(ヨハネ 16:22,23)

今週の聖書個所:ヨハネ 16:1-33.

今週教会で、「もう霊的訓練についてのシリーズは終わったんですか?」という声が聞かれました。どうか誤解しないでください。たましいの面倒を見るということについての教えも、全て霊的訓練につながっています。確かに内側に焦点を置いていますが、これは私たちが生きている身の周りの世界をどう見て、聞いて、理解して、反応するかということにも影響を与えるのです。週に一度だけではなく毎日あなたの内側の命について考える事が必要です。それは、日々の出来事によって中心にあるはずの神様の約束からそらされてしまった魂をもう一度リセットするということなのです。霊的な注意深さと訓練があるからこそ、イエス様にあって「家」にい続ける事ができ、素晴らしい将来を確証してくださる主の約束に留まることができるのです。神様から来る、満ち溢れるような喜びは決してあなたから奪われず、「なぜ?」という問いが口をついて出てくることもなくなる。そんな将来は、あなたが反応するだけの人生から信仰を持って求めていく人生を選ぶ事から始まるのです!


So with you: Now is your time of grief, but I will see you again and you will rejoice, and no one will take away your joy. In that day you will no longer ask me anything. (John 16:22,23)

This week’s reading: John 16:1-33.

I was asked in church this week, “Is your series on spiritual disciplines over?” Please make no mistake; this teaching on the caring of your soul is all about spiritual disciplines. The focus is inward but also about how it affects the way we live (see, hear, understand, and react) in the world around us. It involves not weekly but daily reflections of the life within. A re-setting of the soul when daily events move it off center and off promise. It takes spiritual sensitivity and discipline to keep the soul continually at home in Jesus and in His promise of a wonderful future secured. A future filled with rejoicing. A future where the joy of God can never be taken away from you and the questions of “why” cease being asked. A future that begins when we choose to react less and ask more in faith!

 

2月6日のメッセージセルフチェック


働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3:9~11)

私たちはキリストを信じる者として神様と共に永遠の人生を生きるために創られました。聖書はこのことを何度も何度も教えています。神様は全ての人の心に永遠を備えてくださいましたが、上記の聖書個所にもあるように、私たちは大抵この事の意味をなかなか掴む事ができないでいます。私たちはいま住んでいる世界に簡単に捕らわれてしまい、永遠というものを、引退することとか、ときには死ぬことと似たようなものだと思ってしまうことさえあります。こういう考えでは、生きていてとても疲れやすく落ち込みやすくなってしまいます。私たちが将来について心配してしまうあれこれの事よりも、ずっと大きな事のために私たちは創られたのです。私たちはこの世界では単なる訪問者に過ぎないとパウロは教えています。それは私たちのたましいの将来が神様の所にあるという事を思い出さなければならないからです。あなたの心に永遠が備わったのは、それが唯一生き残って次の人生に進む事の出来るあなたの一部分だからです。たましいが本当に生きていくためには、神様に注目した将来が必要なのです。さあ生き始めましょう!    

What does a worker gain from his toil? I have seen the burden God has laid on men. He has made everything beautiful in its time. He has also set eternity in the hearts of men; yet they cannot fathom what God has done from beginning to end. (Ecclesiastes 3:11)

Scripture reminds us time and time again that as Believers in Christ we were created for a life of eternity with Him. He set eternity into the hearts of all people but we often have trouble grasping what this all means, as stated in the Scripture above. It is all too easy to get caught up in the world we live in and to view eternity in terms of reaching retirement or even death. This could make life both stressful and depressing. We were created for something much greater than what we normally fret over regarding our future. Paul reminds us that we are mere visitors to this place because our souls need to be reminded of its future in God. Eternity has been set into your heart because it is the only part of you that will survive this world and go on to the next. The soul needs a future focused upon God in order to truly live. Let’s begin living!