12月14日のメッセージセルフチェック

私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。(詩編19:14)
今週の聖書個所:ルカ1:26-38 /イザヤ32:17

マリアは神様からの特別なメッセージを届けに来た天使ガブリエルにこう答えました、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」マリアは神様から大きな恵みを受け、いと高き方の子を産むために選ばれたのでした。それに対するマリアの言葉には彼女の心の中にあるものが表れていて、それが神様を大変喜ばせました。
あなたの口から出る言葉は、あなたの心の中にある神様の真実に対する理解を表していますか?それらの言葉は、キリストにあってあなたが何者であるかという理解を表していますか?
イエス様にあってあなたが何者であるかを明確に理解していれば、人生における難題ももう少し楽に通り抜ける事ができるはずです。あなたが神様からの大変な好意を受けている事や、私たちが話をしている間も神様があなたと共にいるということについての知識が役に立つのです。
私の後について言って下さい。「私は主のしもべです。どうぞ、あなたの御心のとおりになりますように!」

12月14日 メッセージ

メッセージ 「あなたは恵まれている」

12月7日のメッセージセルフチェック

自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。(箴言13:3)

今週の聖書個所:マタイ1:18-25

私たちはよく、クリスマスの話を柔らかく光るキャンドルの灯の下で読み、そのような雰囲気の暖かさやお祭り気分を楽しみます。そして楽しむべきだと思います。クリスマスの話はあなたが知っている中で最も素晴らしく、また恵みを与えてくれる実話のひとつなのです。しかし、神様がその話に関わった全ての人たちに課した途方もない困難とリスクについても注目するべきです。神様がこの世界のために用意された素晴らしい計画を果たすべく、ごく普通の人々を、普通とはほど遠い状況に関わらせる事を選んだという事は、多くの称賛に値します。ヨセフという貧しく若い大工は、神様の御言葉をそのまま受け入れるという決断を下すことのできる内なる強さを発揮した人の好例です。ヨセフの人生で最も大切な時に、神様はご自身の計画をヨセフ自身の計画よりも優先させるようにと言いました。
「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。(1章20節)」
神様が物事のタイミングをまるで間違えているように見えることがありますか?私たちすべてが神様に対してこう言ったことがあると思います。「今ですって?それを、今やるんですか?」力を尽くして主を愛するということは、神様の御言葉がいつ来ようともそれを受け入れ、あなたがもっとも予期していなかったときにそれを自分自身のものとする、ということを伴うのです!

12月7日 メッセージ

メッセージ 「神の言葉はあなたと共にあるか?」

11月30日のメッセージセルフチェック

詩篇40:10

私は、あなたの義を心の中に隠しませんでした。あなたの真実とあなたの救いを告げました。私は、あなたの恵みとあなたのまことを大いなる会衆に隠しませんでした。
今週の聖書個所:     ルカ1:5~25

ザカリヤが天使ガブリエルに対して言ったことは、教会にいる私たちが、クリスマスの時期に限らず普段から言っているような事です。「私は何によってそれを知ることができましょうか?」(ルカ1:18)

ザカリヤが経験した出来事と、キリストにある私たちが通るであろう出来事に隠されている真実は、実際には同じものなのです。それは、あなたは何の確証もないという事です!少なくとも、次にするべき事についてどう確信を持つかということに関しては、私たちが期待しているような確証は与えられないということです。ただ、物事の首尾が必ず私たちの望んだ通りになるという保証はなくとも、神様が守って下さるという事には確信を持つ事ができます。神様は素晴らしい計画を持っておられ、私たちはその大いなる計画に参加するようしきりに招かれているのです(あなたは、きっと「あなたの人生のための・・」と言ってほしいことでしょう!)。危なそうに思えますか?まさにその通りです。あなたの力(あまり力を持っていなかったとしても・・・)を尽くして主を愛そうとするとき、あなたはいちかばちかの賭けに出なければならないことがあります。しかし、その「いちかばちか」はやってみる価値のあることなのです!ザカリヤとエリザベスを見て下さい。彼らは祝福され、また多くの人々に祝福を与えました--次は「あなた」の番です。

11月30日 メッセージ

メッセージ 「どうやってそのようなことを信じられるでしょう?」

11月16日のメッセージセルフチェック

利口な者は自分の知恵で自分の道をわきまえ、愚かな者は自分の愚かさで自分を欺く。(箴言14:8)
今週の聖書個所:ヤコブ2:14-28/マタイ28:18-20/箴言14:4

アブラハムの信仰と行動が共に働くことによって、神様に対する彼の信頼と信仰は完全なものになったとヤコブ書は教えています。力を尽くして主を愛するには行動を伴った信仰が必要であり、それによってその内なる信仰が表わされていかなければなりません。つまり、私は神様を信じ、また神様がやりなさいと召しておられることを信じているからこそ行動するのであって、ただ単に自分の信じている事を他人に見せるために行動しているのではないのです。
愛は怠ける事ではなく活動する事です。ある決断についてじっくり考え、またそれを行動に移すにあたってさらにもう一度深く考える事は有益ですが、考えすぎる事は混乱と怠惰を招きます。
あなたの人生で神様が青信号を出しているにもかかわらずあなた自身は赤信号と見てしまっている部分はありませんか?本来ならイエス様に「Why not?(ぜひやりましょう)」と答えるべきところを「Why? (なぜやらなければならないの?)」と尋ねてしまっている部分はありますか?失敗を恐がっていると、時として「やるべき事をしない」という結果に終わってしまうことがあります。力を尽くして主を愛することは全うされた信仰につながるのです。私たちの信仰の仕上げをしましょう!

11月16日 メッセージ

メッセージ 「全うされる信仰」

11月9日のメッセージセルフチェック

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(第二テモテ1:7)

詩篇18篇には「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら」と書かれています。当然ながら、イエス様は褒め称えるにふさわしい方ですが、私たちはどこでそうするべきなのでしょうか。それは、私たちの身を避ける場所、とりで、神様の要塞の中で行うのです。
神様からの召しを実行しようとしていても、物事が思ったよりスムーズに行かない時には、神様のそばにとどまることに力を尽くす必要があります。そんな時、神様の守りから離れて行ってはいけません。
聖霊様が以前に下さったアイデアの中で、実行をあきらめてしまったものはありませんか?神様から情熱を与えられたはずなのに、その情熱のために戦うのをやめてしまった経験はありますか?神様に従っていないために、以前心に抱いた事のある「神様級」の大きな夢が未だに夢のままになっていませんか?あきらめないでください!
あなたは挑戦をやめずに、より懸命に、より粘り強く努力する必要があります。なぜならあなたはおくびょうの霊ではなく力と愛と慎みとの霊を与えられたからです!

2013年11月9日 メッセージ

メッセージ 「立ち上がり、立ち下がる」

10月12日 祝福の祈り

               世莉ちゃんが健やかに成長し、
       神様を愛し、神様に祝福される道を歩むことが出来ますように。

10月26日のメッセージセルフチェック

「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マルコ12:30)

先週デイルから教えてもらったのですが、英語版NIV訳の聖書でヨハネ1:1は「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」なのに対し、同じくNIVのスペイン語版では「初めに動詞がすでにあった。動詞は神とともにあった。動詞は神であった」なのだそうです。これはすごいことです!世界が始まる以前からイエス様の目的はいつも行動することであって、そしてこれからもずっと、彼を信じる人々を通じて行動することであるということがはっきりと表わされています。力を尽くして神を愛すという事は、あなたを通じてイエス様に生きていただくという事に他なりません。
彼はどこに行こうとしているでしょうか?そしてあなたの人生に対して、またあなたを通じて何をしたいと思っておられるのでしょうか?
あなたはいつまで目の前のスタートラインを眺めているのでしょう?ピストルは鳴らされ、私たちの多くにとってはすでに走り出す時が訪れているのです!見事な走りをしてください!

2013年10月26日 メッセージ

メッセージ 「力を尽くして主を愛する」

10月19日のメッセージセルフチェック

利口な者は自分の知恵で自分の道をわきまえ、愚かな者は自分の愚かさで自分を欺く。(箴言14:8)
「だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。」(ルカ11:35)
今週の聖書個所:ルカ11:4-36/ 使徒 4:34-5:11/ マタイ 17:24-27.

イエス様はルカ11章の中で私たちに自分自身を点検するようにと教えていますが、それは私たちには自分をだまして自分が常に正しい事をしていると思い込む傾向があるからなのです!私たちは、ともすればイエス様が教える白と黒のはっきりした教えをもっと実行しやすい(と私たちが思っている)「灰色」に変えてしまうことがあります。
これが箴言14:8に書かれている欺きです。イエス様にとって問題は、あなたに耐久テストのようなものを課したり完璧なスコアを達成させたりすることではなく、人生の全ての事柄において「一瞬一瞬」を彼と共に歩んでほしいという事なのです。正しい決断を選びとること、生きていくことが大変な中でも妥協しない事を選ぶこと、イエス様のために正しい事をするということ―そうすることによって、あなたはイエス様が忠実にそばにいて下さり、与えて下さる方だということを知るでしょう!やってみてください!

2013年10月19日 メッセージ

メッセージ 「灰色の知識」

10月12日のメッセージセルフチェック


目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい (コロサイ人への手紙4:2)

今週の聖書個所:ハバクク書2:1-2/ガラテヤ1:11-24

私たちにたゆみなく祈りなさいと言ったパウロの力強いアドバイスは、単なる知識からではなく経験から来るものでした。彼は、祈りに専念するには、見張り台のてっぺんに立っている見張り人のような集中力と努力が必要だということを理解していました。見張り人は、城壁の内側にある眼下の町の賑わいや慌ただしさにではなく周囲の環境に不断の注意力を向けており、私たちが持っている祈りのイメージとは違って、しゃべるよりも見張る(聞く)事が重要でした。多くの人の生命がそれにかかっていたからです!
神様からの言葉を受け取ったり、将来起こりうる物事についてのビジョンを捉えるには、日々の生活を超えたところにある私たちの高台を探し、登らなくてはなりません。
そうすることで、いずれあなたは確実に感謝することでしょう!

2013年10月12日 メッセージ

メッセージ 「祈りと見張り塔」

10月5日のメッセージセルフチェック

朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。(伝道者の書11:6)
今週の聖書個所:伝道者の書11:1-6/ガラテヤ6:9、10

私たちは、神様や彼のあり方について実際以上に知っていると思い込んでしまう傾向と常に戦わなければなりません。確かに私たちの主の道はあまり選ばれることのない道ですが、気をつけていなければ神様が意図された以上に私たち自身がその道をさらに狭めてしまうことがありえます。キリストのうちには多くの自由と多様性があるのですから、今週こそ、私たちに与えられているいくつかの選択肢についてもう一度考える絶好の時だと思います。神様の栄光を表すためにあえてリスクをとる決め手となるのは「恐れ」ではなく、「キリストの忠実さ」であるべきです。私たちは偉大なる創造主に仕え、賛美するためにもっと夢を抱き、新しい方法を見つけ出し、創造する必要があります。安全第一ではなく、キリスト第一で行きましょう!

2013年9月29日 The Crib


「小平みんなのどけんまつり」に招待されて、おそらく会場の殆どの人がクリスチャンではない場所で歌う機会に恵まれました!場所や状況にとらわれることなく、The Crib の働きの地境が増々拡げられていくことができるように! 金魚すくいの金魚をぶらさげて、かき氷を食べながら歩いている男の子、「神様」という言葉に反応して恥ずかしいと耳に手をあてておどけるお父さん、何だか少しノリノリで携帯で撮影するおばちゃん、色々な人に種が蒔かれていて、ゆっくりと時間が流れていました。。。。

2013年9月28日 メッセージ

 メッセージ by 真船 亨  

2013年 Summer Camp!

かなり遅ればせながら。。。。2013年5月 BBQ

9月21日のメッセージセルフチェック

どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの『願うところ』、『思うところ』のすべてを『越えて豊かに』施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにおり、栄光が世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。(エペソ3:20、21)(強調は筆者)
今週の聖書個所:エペソ3:14-21/マタイ14:22-33

もう一度マタイの福音書を開いて、イエス様が水の上を歩く個所を読んでみてください!昨晩から弟子たちは強い向かい風の中、湖の反対側に渡ろうとして苦闘し、疲れ切った状態で早朝を迎えました。疲れ果てていたところに、幽霊のように見える何者かが水の上を歩いているのを見て更に恐ろしくなったのです。しかし、イエス様は船に近づき自分だという事を告げ、恐れるな、しっかりしろと言われました。それらの言葉を真摯に受け止めたペテロはある願いをします。頭がおかしいと言うか、独創的と言うか、自分をイエス様のところまで歩かせてほしいと願い、それが認められたのです!繰り返しますが、願いが認められたという事に注目してください。湖の真ん中で船に揺られながらそれよりも独創的な願いを考えるなんて事は私にはできないと思います。しかしイエス様は驚かず、ペテロに頭を医者に診てもらえとか、狂ったような願いをした事について説教したりもしませんでした。ただ単に「来なさい」と言っただけでした。
私はペテロの願いそのものよりも、その願いを受け入れることの方がはるかに過激的で独創的なことだと思います。神様の栄光をたたえるのに私たちがどんなに独創的であっても良いというのは素晴らしい事です!私たちが思うところ願うところ全てを超えて豊かに施す事のできる神様のために生きましょう!

9月14日のメッセージセルフチェック


「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。(第一コリント2:9、10)

今週の聖書個所:第一コリント2:9、10/ヨハネ4:21-24

イエス様はこう言いました、「神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」。
主を霊とまことによって礼拝するには、神様の御言葉の真理に基づいて行動するということが必要です。聖書が教えてくれる素晴らしい真理のひとつは、クリスチャンとしてのあなたの人生はもはやあなた自身のものではなく神様のものであるという事です。

『毎日、どんな状況においても、あなたは神様の霊によって導かれる事を選びとる事が出来ます』——いいえ、これは適切な言い方ではないでしょう。そうではなく、『私たちは、今や私たちのものではない、正当に「神様ご自身のもの」とされた人生を、聖霊に導いてもらう事を選ぶことができる』という方が適当です。
あなたが見るもの、聞くもの、そして学ぶ事について、聖霊に日々導いていただきましょう。何を読むか、何を勉強するか、あるいは何を視るか、何を聴くかについての選択も、神様が導く事を受け入れましょう。神様とその偉大な創造について学ぶという事は、「思考全てで主を愛すると」いう事に繋がる一つの方法です。
準備はいいですか?神様はあなたが圧倒されるような事をあなたに見せようとしておられるのです!

誕生おめでとう!

             9月7日 午前1時17分
             市川家に世莉(せり)ちゃんが産まれました!
             お姉ちゃんと仲良くスクスク成長しますように!


8月31日のメッセージセルフチェック

事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。(箴言25:2)
今週の聖書個所:ヨハネ18:28‐38/創世記1:26-31

ソロモン王は彼の持つ膨大な知識、富そして業績を誇れるものとは思っていませんでした。彼はイスラエルの王としての地位さえも、称えられる理由と見なしてはいませんでした。しかし興味深い事に、神様の真理を追い求める事は名誉に値する行為と考えていたのです。思考を尽くして主を愛するということは、自ら進んで神様から個人的に答えを求めるという事を伴います。多くの場合、神様の御心を知り、神様から何かを受け取るまでは忍耐や我慢そして根気が必要になります。私たちと神様との関係は、瞬時に投稿がなされるフェイスブックやツイッターのような仕組みに基盤を置いているのではなく、上から生み出される愛に基づいているのです。事を隠すのは神の誉れであり、そしてそれを探すことを許されているという事は神聖な名誉なのです。

あなたの人生の中で、思考全てで神様を追い求める事をやめてしまった部分はどこでしょうか?あきらめないでください。降参したりしないでください。神様はあなたに彼の神秘を明らかにしてくれるはずです!

8月24日 メッセージセルフチェック


事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。(箴言25:2)

今週の聖書個所:ヨハネ18:33‐38/ヨハネ4:1‐25/ルカ9:16‐22


ペテロはイエス様に向かってこう言ったことがあります―「ここにいることは、すばらしいことです!」。私も皆と一緒にキャンプで過ごしている間そういう風に思っていました。先週末キャンプに参加した事は間違いなく良いことでした。私が以前は見られなかった事を神様が見せてくれたからです。(そのことを分かち合おうとしているわけではないのでそれが何だったかは聞かないでください)キャンプをしている間、神様はあなたに何かを明らかにして下さったでしょうか?

私たちの思考を尽くして主を愛するという事は、神様の真理を探し求めるということを伴います。ただそこに座って、真理が膝の上に落っこちてくるのを待つこととは違います。私たちが尋ねる事を避けてしまいがちな厳しい質問をイエス様は恐れていません。彼に尋ねなければならない厳しい質問はありませんか?どうぞそれを尋ねてみてください。でもピラトがイエス様と交わした短いやりとりの中でしたように、背を向けて立ち去ってしまっては意味がありません。

真理とは何ですか?それは忍耐強く丹念に神様を探し求める者に明らかにされるのです。

2013年8月31日 メッセージ

メッセージ 「神の栄光はどこにあるのか?」

8月17日のメッセージセルフチェック


悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。」(ネヘミヤ記8:10)
今週の聖書個所:申命記12:7

思考(思い)を尽くしてあなたの神である主を愛する方法は沢山あります。私たちは思考というものを肉体的な器官の一つとして捕えてしまいがちですが、明らかにそれ以上に様々な働きができるのです―理論、想像、戦略的計画、創造性やユーモア等がほんの幾つかの例です。
神様の命令において、キーワードは「思考を尽くして」です。思考の一部とかではなく思考の全てなのです!私自身はユーモアの部分に取り組み始めたところで、落ち着いてリラックスし、自分が手をつけた事に対してもっと喜びとユーモアを見出すという事を学んでいる最中です。神様に自分のユーモアのセンスを聖別してもらい、そうすることでキリストにあって私が行う全ての事を喜ぶという神様の命令を実行しようと取り組んでいます。これが私に力を与えてくれるからです。
 
そしてあなたはどうでしょうか?あなたは、自分の思考のどの部分を神様の栄光のためにきっぱりと取り分ける必要があるでしょうか?思考というものは無駄にしてしまうにはあまりにもったいないものなのです!

2013年8月17日 メッセージ

メッセージ 「次は・・・」

7月13日のメッセージセルフチェック


しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの生徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。(使徒の働き9:13~15)


今週の聖書個所:使徒の働き9:1~18


初期の信者たちが直面していた厳しい苦難と迫害とにも関わらず、イエス様は彼らの人生を通して多くの素晴らしい働きをしました。イエスは多くの場合、信者たち一人一人と個人的に関わりを持ちましたが、興味深い事に、それが発端となり、福音の広がりにつながる一連の動きが始まりました。神様は、「あなた」を使って福音を宣べ伝えるための連鎖反応を引き起こしたいと思っておられます。
それには、あなたの従順さと、「でも」と言いたくなるのを止めそれを克服しようとすることが必要です。そして神様が「地の果て」――ほかでもないこの場所に、あなたを使って変化をもたらしたいと思っておられる、ということに気づく事が必要なのです!


2013年7月13日 メッセージ

メッセージ 「あなたは何かを変えることができるのか?」

7月6日のメッセージセルフチェック

「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて・・・」(ペテロI3:15)

今週の聖書個所:ヤコブ 1:22‐25/使徒8:26-40

ピリポは文字通り神様の導きにあってその人生を生きていました。それは彼が即座に神様の召しや促しに応答したからです。それがたとえ貧しい人たちに食事を与えることであろうと、サマリアの地に行く事であろうと、ガザを目指して荒れ果てて暑い砂漠を行く事であろうと、神様が導けばピリポは行ったのです。彼の従順さのおかげで、地の果てまで福音を述べ伝えるという世界的な活動が始まったのです。本当に神様の言葉と御心を知るという事はそれを行う事によって理解されるのであって、ただその事についてじっくりと考えるだけではできません。これは今日に至っても真実なのです。ヤコブは、ただ単に神様の言葉を聞くだけの者は自分を欺いていると言い表しました。私たちは、神様の言葉をただ学ぶだけであたかも霊的に成長したと思いこむことにより簡単に自分を欺くことができますが、それは違います。神様の言葉に応答する事で初めてそれがあなたの生活やあなたの身の回りで生きたものとなるのです。イエス様は聖書を通してあなたに語りたいと思っておられると同時に、あなたを通して語りたいとも思っておられるのです。
「あなたに、あなたを通して」それこそが重要なことです!心を尽くして主を愛しましょう!

2013年7月6日 メッセージ

メッセージ 「主の言葉、私の言葉」

6月29日のメッセージセルフチェック


ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」彼は礼拝のためにエルサレムに上り・・・
(使徒8:26、27)

今週の聖書個所:ヤコブ1:22~25/使徒7:54~8:26

ピリポという人はただ神様の言葉を聞くだけではなく行動を起こす人であったという事が今週の聖書個所から見てとれます。このとき彼は、教会が迫害されたためエルサレムでの配膳の仕事から退いたのち、北方のサマリア人たちの中にあって始まったばかりの力強いミニストリーの只中にいたのです。
彼はもう一度、自分が脱出してきたばかりの地域である南へ戻れと神様に命じられました。そこには投獄と死の危険がありましたが、ピリポにとって神様の召しはあまりにも具体的であったため、砂漠の道をそのまま行く事さえ躊躇しなかったのです。そして次に起こった事は北方のサマリアに置いてきた事以上の出来事だったのです。

神様があなたを召しておられる事の全てに従おうとする時、たとえその召しが最初はどんな風に見えようとも必ず扉が開くものなのです-その召しが危険に見えたり、暑く、乾いていて不毛であるように思えたり、あるいは単に時間の無駄のように感じられたとしてもです!あなたが神様の言葉通りに動くという選択をするときは必ず、今までその存在にあなたが気づくことすらなかった新しい扉が開かれていくという驚きが伴うのです。今こそその驚きを体験しましょう!

6月29日 メッセージ

メッセージ 「開かれる扉」

6月22日のメッセージセルフチェック

私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。
(詩編119:35-37)

今週の聖書個所:詩篇119:33-37/使徒6、7

この詩篇を書いた者は、神様の言葉に従う事に喜びを見出すと書いています。彼の祈りは彼の心が自分勝手な利得やむなしい物事にではなく神様の言葉に向くようにと祈っているのです。それなのに私の場合は、なんと自分勝手な利得やむなしい物にとらわれてしまうことが多いのでしょう!今この瞬間に私は、自分の心が永遠の価値と喜びに向くように神様に祈ります。
今週の聖書個所に出てきたステパノの窮地は普通に見るなら最大の不幸のように見えたでしょう。けれども、怒りに満ち、殺意のあるサンヘドリン(ユダヤ教の最高法院)の宗教指導者たちの前に立ったときのステパノその人がもう普通とはほど遠い人だったのです!聖霊に満ち、天国の光に照らされたステパノは御国の扉が開き神の右の座にいるイエス様を見たのです。イエス様がステパノに手を振ったのかな?と私は思います。その時ステパノはそこにいた人たちに対する反応はただ「見ろ!」という事だけでした。あなたは周りを見渡した時何が見えるでしょうか?というのもあなたが見ている物があなたの心がどこに向き、何に従っているかを決定付けるからです。真の命は神様の言葉を生きることの中に見出されるのであって私たちが知っているただの「命」ではありません。それ以下の物はただそれ以下というだけのものに過ぎないのです!

6月22日 メッセージ

メッセージ 「神の言葉を運ぶ者」

結婚おめでとう!

                二人の上に神様の導きと平安と祝福がありますように!
               そして、素晴らしい夫婦になる努力を重ねていけるように、
                  主が教会を励ましとして使ってくださるように!

6月15日 メッセージ

メッセージ 「神の言葉を運ぶ者たち」

6月15日 恵深(めぐみ) 祝福の祈り



   主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。(聖書)

奇跡を見せて下さる 主が、恵深を通してこの世界に良き働きをしてくださいますように。
どうか恵深を主が召す場所へと導いてください。

6月8日のメッセージセルフチェック

「私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。私は、あなたの戒めに思いを潜め、あなたの道に私の目を留めます。私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。」(詩編119:14~16)

今週の聖書個所:詩編119:1~16/Iコリント3:1、2

そのために働いたり、苦労して得たのではない偉大な宝を楽しむことができるなんて願ったり叶ったりですね!ところが、宝が目の前や、机の上あるいはカバンの中にあるのにあなたが気付かないとしたら、さしずめ悪い夢のように思えることでしょう。神様の言葉を偉大な宝のように楽しむというのは聖書の言葉に思いを潜めるという事から始まるのです。あいにくイエス様はこの事を私たちの代わりにはして下さいません。それは私たち次第なのです。 先日私は膝に怪我を負って入院している友達に会いに行ったのですが、彼は左右に転がる以外は全く動けない状態でした。しかし彼は微笑みながら、神様が申命記を通して彼に思い出させようとしている素晴らしい事について話してくれました。包帯をぐるぐる巻きにされた足をかかえて入院している最中に申命記を読むような人はいったいどんな人でしょうか?それは、神様の言葉を放ったままにせず、むしろそこに埋もれた宝を取り出すために神様の言葉に思いを潜めることを選ぶ人だけです。あなたもヘルメットをかぶり、つるはしを握って今日宝を掘り始めましょう!

6月8日 メッセージ

メッセージ 「富に届く」

6月1日のメッセージセルフチェック

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。(ヘブル4:12,13)

今週の聖書個所:ヨハネ6:41~47/ヨハネ7:37~42

今週の聖書個所の中でイエス様は彼自身が「命のパン」であるという事をあからさまに宣言しています。イエス様が語られたそれらの言葉を受け入れる事は難しすぎたので、弟子たちの多くが離れ去って彼と共に歩かなくなりました。次にイエス様は、12弟子たちに向かって彼らが留まるのか去るのかという率直な質問を投げかけたのです。それは貫かんばかりに鋭く、命に満ち溢れている言葉でした。その時ペテロとその他11人の弟子たちは、都合良く新約聖書を開いてその問いにどう答えるかを検討するようなことはできませんでした。イエス様はそこに立って返答を待っていたのです!
あなたはどのようにして神様の言葉に応答しますか?さらに言えば、神様の言葉に応答できるようになるために時間を取っていますか?もし私たちが時間を取って素晴らしい神様の言葉を開いていないなら、それは聖霊様の助けのもとにイエス様の声を聞くことに時間を使っていないという事になります。私たちは主を待ちなさいと言われていますが、私たちの方が主を待たせてしまう事が多くなってしまいがちです。もうこれ以上彼を待たせる事はやめましょう。神様はあなたと多くの素晴らしい事を分かち合いたいと思っておられるのです!

6月1日 メッセージ

メッセージ 「生ける水の流れる川」

5月25日のメッセージセルフチェック

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。(ローマ12:10)

今週の聖書個所:ヘブル10:24、25/ヨハネ17:20~26/使徒10

イエス様が捕えられ十字架につけられる前、最後にした祈りは、その後に来たるべき教会のための祈りでした。そしてその祈りは、イエス様が彼の教会をその上に建てるために選ばれた教会の長、ペテロを通して実現されているのが、使徒の働き10章から見てとれます。初期のクリスチャンたちは聖霊の動きによって引き寄せられ、一体となっていたのです。そのイエス様の祈りは今日も効力があり彼の聖霊によって力が与えられています。私たちがイエス様のために集まって、誰かを愛し、また善い行いをするため互いに励まし合う時、聖霊様は力強く、また神秘的な方法で働くのです。一緒に集う事は自分の居場所や交わりの中での自分の立ち位置を見つけるという事では一度もなかったのです。なぜならそれは既に確立されているからです。間違いなくあなたはキリストの体の一部となるために創られたのであって、尊く、高価で必要とされているのです。ですから、ただ、聖霊様があなたを動かされることを受け入れましょう!それではまた!

2013.5.25 メッセージ

メッセージ 「交わりと神の言葉の力」

5月18日のメッセージセルフチェック

「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」(エペソ5:14)
今週の聖書個所:エペソ5章/使徒10章

イエス様がどれほど私たちの人生を照らしたいと望んでおられるかという事さえ理解できたなら、私たちは彼の聖霊が召しておられる事に対してもっと心を開き、耳を傾けるようになることでしょう。私たちは皆、天国の光の中で生きていたいと望みますが、そのためには主の光の中で生きることを選ばなければならないということを見逃してしまいがちなのです。
暗闇は私たちを欺くのです。変化を先送りし現状維持を正当化するための、霊的に素晴らしい言い訳を作り出します。
暗闇の中では何も見えないため、私たちが本当に変えなければならない事に対して盲目になってしまうのです。それは私たちの霊を眠らせ、聖霊の召しに応答する意欲を失わせるのです。
この話はあなたの心に突き刺さっているでしょうか?自分の書いているこの文章が自分に突き刺ささっています!
唯一私が知っているのは、私たちホープチャペル・ウェスト東京をイエス様は本当に愛して下さっているという事、そして私たち-すなわち彼の教会-の内で、そして私たちを通して、より偉大な事をしたいと望んでおられるという事です。
聖霊様はあなたの心に誰の事を、また何について語っているでしょうか?
神様を愛し神様に仕えていく中で、誰かの事を汚れていると思ったり、自分よりも低く見てしまっていませんか?
うんざりだと思っている事に対して「やりなさい」と聖霊様から語られましたか?
それなら眠っている人よ目をさませ、キリストはあなたを照らしたいのです!

5月18日 メッセージ

メッセージ 「死者の中から起き上がれ」

5月11日のメッセージセルフチェック


主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。(エレミヤ10:23)

今週の聖書個所:使徒の働き9:1~22

エレミヤの祈りの中にある「人間」という言葉を自分の名前に置き換えてみてください。するとこの祈りはあなたの生き方とどのように一致してくるでしょうか?
罪を告白するとかいう事ではなくあなたの状態を理解する事や気づくという事を私は言っているのです。そうすることで神様や、神の教会、神のミニストリー、そして神様のために生きるべく与えられている召しに対する葛藤を減らす事ができるのです。
パウロは、自分が何者だったのか、キリストにあってどのような者になったのかという事について、強烈で、驚くほど謙虚な気づきにたどり着きました。権力があり恐ろしいという自分の評判や、有力者の集団や大祭司たちの権威が、天から下った目をくらませるほどの光とイエス様の臨在により色あせてしまったのです。これにより、多くの人から恐れられた男は地面からつまみあげられ、言葉を失った男たちの手によって子供のようにダマスコに引かれて行きました。しかしこういった短期的な結果のあとに、イエス様によって打ちのめされたことの長期的な効果が現れました。それは聖霊の満たし、見る力、そして福音を伝えるために神様の道具として選ばれるという神聖なる名誉だったのです!
わたしたちもぜひ、このように打ちのめされるべきです。実り多い人生のために、毎日一回これを受けることをお勧めします!

5月4日のメッセージセルフチェック

どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(エペソ3:16~19)

私たちが五感を使ってこの世で出来る事や理解出来る事には限界があるという事をパウロは分かっていました。どんなに優れた才能に恵まれた人であっても―たとえパウロその人のような凄い才能の持ち主であっても―限界があるのです。彼はイエス様を主であり救い主として信じる全ての者が得ることのできる「栄光の豊かさ」についても知っていました。当時も(そして今も)私たちに神様の働きを理解し、日々の生活の入り組んだ事柄に対する知識や全てに勝る生き方をするための人知を超えた力を与えているのは聖霊なのです。
あなたが毎日満たされ力づけられるために神様の聖霊を招き入れ、聖霊様で満たされる事を選びましょう。神様の名において求めましょう!
今すぐ立ち止まってそうしましょう。それはあなたの内なる人が「神ご自身の満ち満ちたさまにまで満たされるように」あなたの人生を歩ませてくれるための霊的な訓練になります。それだけが私たちの偉大な神様の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する唯一の方法なのです!奇跡を生きることを選びましょう!

5月4日 メッセージ

メッセージ 「目と耳を超えて信じる」

BABY 誕生!

5月2日午前11時55分
齋藤家に2628グラムの女の子が産まれました!
神様、母と子を守って下さってありがとう!!!!あ、お父さんも:)!



4月27日のメッセージセルフチェック

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:10)

それほど悪いわけではないのに、全てが悪く見えるような時があります。私たちはまだ起きてもいないこと、ただ頭の中だけで想像した事に対して腹を立てたりすることがあります。空想が現実の世界に入り込み、私たちの一日を余計な心配やストレスで台無しにしてしまうとき、神様の喜びは盗まれてしまっているのです!あなたの内側から神様の約束をサタンに盗まれないようにしましょう。そしてイエスキリストの働きによって与えられた聖霊による真の喜びを悪魔に殺されたり滅ぼされたりしないようにしましょう。今日も他のどの日も、彼にはあなたから盗む権利はありません。ですから毎日神様のすばらしさを楽しみましょう。その権利の対価は完全に支払われ、恵みによって正当にあなたの物となったのです。イエス様の力強い御名においてそれを要求しましょう。そしてそれ以外は受け入れてはいけません!

4月27日 メッセージ

メッセージ 「百聞は一見に如かず?」

4月20日のメッセージセルフチェック

神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。
(創世記1:31)
今週の個所:創世記1章、ルカ18:15~17

神様はご自身が創られた全ての物を見、ご自身の業に目を見張りました。それは非常に良かったのです!神様は驚きそしてその事を楽しんだのです!イエス様は自分の弟子たちに、引き下がれと、そして小さな者たちが自分のところに来るのを妨げてはならないと言いました。神の国は「このような者たちのもの」と言ったのです。私たちは神の御国を子供のように受け入れるのでなければ決してそこにはいることはできないのです。これらは、真面目で忙しい、大人ぶったクリスチャンには厳しい言葉でしょう。
あなたが前回、イエス様との歩みの中で、ただただ深刻で実務的なだけの態度をとりつづけるのをやめ、彼が創られた全てを純粋に楽しんだのはいつのことでしたか?
神様の楽しさや不思議をあなたの人生に取り戻すことこそが真剣な取り組みなのです!

4月20日 メッセージ

メッセージ 「それを良しとされた」

4月13日のメッセージセルフチェック

与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。(ルカ6:38)
 

ルカ6:20-38/ルカ18:18-30
 

イエス様は物事をまったく逆転させることができます。私たちが困難だと思う事は、イエス様の目から見ると祝福であったりあるいはやがて訪れる祝福であったりします。この見方の違いは私たちの測り方と神様の測り方の違いによるところが大きいのです。神様のために何かを犠牲にするというのは多くの場合何かが少なくなるように思われがちですが、イエス様にあっては、それはもっと多くを受けるということにほかならないのです。もっと言うと、溢れ出るまでに与えられるということになるのです。それはイエス様が私たちの捧げた物を倍にする事が出来、そして残された物を使って多くの事をする事が出来るからです。つまり、まず私たちの人生におけるいろいろな事柄から一度自分を引き離し、そして一番にイエス様と一緒にいるということです。イエス様にあなたの持っている宝物、才能や、能力、時間、そして心を捧げましょう。そうすれば神様はご自身の栄光のためにそれらの物を倍にして下さいます。神様は本当にあなたをこの世においてそして永遠において祝福したいと思っておられるのです!

4月6日のメッセージセルフチェック

主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。詩篇 28:7

マタイ16:23-28、マルコ14:32-41

今週の聖書個所の中でペテロが善意のつもりでした事に対してイエス様が強く叱るところが出てきました。善意というものは必ずしも常に神様の御心にかなっているわけではありません。この場合は父なる神様が用意されていた道からイエス様をそらす危険性があったのです。それは一番初めからイエス様が選ばれていた道です。この決断は、イエス様がカルバリーに行くまでの間通り抜けることになる様々な厳しい選択に強く影響を与えることになります。今すぐ、あなたの人生の様々な側面において、神様の命令に従って生きることを選びましょう。そうすることで、あなたがなすべき日々の神様の御心に従った決断がますます実り多いものになるのです。今つらい決断をしないでいることは、誘惑や、プレッシャー、あるいは困難が訪れたときに、あなたを誤った決断に導いてしまうことになるでしょう。あなたの人生における様々な人間関係や要求についてどのような決断が求められているでしょうか?神様のやり方なのかその時々に左右されるやり方なのか、それを決断するのは今です。また、あなたが「出来ない」と思っている事をリストアップしてみてください。そして次に、「出来ない」という言葉を「しない」という言葉に置き換えてみたとき、聖霊様があなたに何を見せて下さるでしょうか。私たちの多くは、神様の目から見たら交渉する余地すらない事柄について葛藤しているのです。今生きているキリストを通して惜しみなく与えられている神様の力と知恵に近づきましょう!

3月30日のメッセージセルフチェック


 恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中かで捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人の手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」 “ (ルカ 24:5-7)

 ルカ 24:1-12, 13-36 /ルカ 9:21-27, 43-45 / イザヤ 53

 イエスに従っていた2人の者は失望してエマスに向かって歩いていると、イエスは蘇った後2人の後を追って一緒に歩きました。よみがえったイエスは失望して間違った方へと歩いて行く2人と歩きます。2人がやっとイエスを見た時の気持ちを彼らは、イエスが自分たちに話している間自分たちの「心は燃えていた」と表現しています。彼らは待つ事なく急いで、そもそも彼らが居るべき場所へと戻っていきます。
あなたは進むべき方向へと向かっていますか?死人の中からイエスを捜していますか?生きているものの中でイエスを捜していますか?イエスは生きていて、あなたの目の前にいます。もしあなたがイエスを、時間をかけて探し求めるなら、必ずあなたはイエスを見つけることができます。

3月30日 イースターメッセージ

メッセージ 「思い出しなさい。(覚えていないのですか?)」

3月23日のメッセージセルフチェック

“富んでいるように見せかけ、何も持たない者がいる。貧しいように見せかけ、多くの財産を持つ者がいる。富はその人のいのちの身代金である。しかし貧しい者は叱責を聞かない。” (箴言 13:7,8)

 “わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。富と誉れとはわたしとともにあり、尊い宝物と義もわたしとともにある。わたしの身は黄金よりも純金よりも良く、わたしの生み出すものはえり抜きの銀にまさる。” (箴言8:17-19) 

ルカ21:1-6/ マタイ 6:19-34 / 使徒の働き 2:42-47 / 2 コリント 9:6-8

「使徒の働き」の中に一世紀の信者たちはたびたび集まって持っている全ての物をお互いに分け合っていた事が書かれています。初期の信者たちは共有の物が沢山ありました。持っている物を売り、その収益は必要な人たちと分かち合ったのです。それと同じように貧しいだけではなくお金を稼ぐあてもあまりなかったはずのやもめが 神殿で惜しみなく彼女の持っていた全てを神様に捧げました。2000年が経って最初の信者たちと21世紀に生きている者たちとの間に共通点がほとんど見られなくなりました!私たちの霊的先祖たちのようにキリストに仕えることはあまりにも過激なように思えてしまうのです―私たちの心のフォーカスを正常な位置に戻すまでは。キリストだけが確かなものであり、それ以外の物は一時的でありそれほど価値のあるものではありませんでした。神の御国を求めることによって初期の信者たちはこの世の富を永遠に続く富と繁栄に変えることができたのです。イエス様が彼らの宝であり、彼らの心はイエス様と共にありました。今こそ私たちは神の御国に自分たちの心を定めて徹底的に捧げる生き方をする時なのです!

3月23日 メッセージ

メッセージ 「一つの焦点に目が向けられた心」

3月16日のメッセージセルフチェック


“自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。” (マタイ 6:19-21)

マタイ 6:1-4, 19-24 / マタイ 13:44-46 / ルカ 21:1-4

つい先日私は大切な友人のかなり高価な自転車を修理したり磨いたりして一日を過ごしました。というのもその自転車は彼女の身体的な必要に応じて作られたカスタム・メイドのもので、 彼女にはもうその自転車が必要なくなり、他に使う人が見つからなかったので売りに出せるかどうか試してみる事にしたからです。その自転車は彼女の人生での役目を果たし、多くの素晴らしい思い出を残してくれました。面白い事に彼女はその自転車を保護するために大変な苦労をしたはずなのにその自転車に貯まったさびを拭き取るのにかなりの時間がかかりました。それからいちいちこの自転車から目を離して家に上がるたびに必ずその自転車に二重ロックをかけていました。イエス様の教えみたいですね!
この自転車はその友人の人生にとって特別な宝物というわけではありませんでしたが、さび始めていましたし、使わないときは柱につないでおかなければなりませんでした。
この出来事は神様が私たちに与えてくれたものに対して良い管理者になる事とともにその与えて下さった物といつかは別れるという事をもういちど教えてくれました。あなたの人生においてあなたの心を神様から離してしまった物はありますか?それらの宝物は壊された盗まれたりされる危険があるでしょうか?聖霊があなたの心に語る時いつでもそれらの物を与えたり手放したりする事が出来るようにしておいて下さい!それがあなたの心を永遠の宝のそばに置いておく一番の道だからです。

3月16日 メッセージ

メッセージ 「たったこれだけ、ではない」

3月9日のメッセージセルフチェック

“ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っていることの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。” (ローマ人への手紙 5:1-5)

ルカの福音書 23:32-43.

教会15周年は、ホープチャペルウェスト東京という私達の教会の名前について考える良い機会です。ただの「名前」ではなく、それはあなたが人生において持つことのできる素晴らしいものだからです。
あなたは恵みの中に立っていますか?それとも自力で恵みを得ようとしていますか?
あなたがルームランナーのベルトの上を走っていないか、足下を見てみましょう。なぜなら、それはあなのた人生に必要なストレスではないからです。
キリストのうちにあなたが立っている、という指標は、あなたの人生と主との関係に平和があるかという点になります。堅固な恵みという土台の上にあなたとキリストの関係があるという希望を理解し始める時、初めてあなたに平和が訪れます。そこで生き、歩く時、失望はありません。主にある希望は、あなたが必要としている平和をもたらします。すべては神の御手の上にあるのですから。

3月9日 メッセージ

メッセージ「希望は失望に終わることがない」

3月2日のメッセージセルフチェック


“キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。それによって私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存知だからです。 “ (I ヨハネの手紙 3:16-20)

ルカの福音書 10:25-37/ I ヨハネの手紙 3:11-24.

この聖書個所でヨハネは控えめな言い方をするような事はしていません。なぜなら聖霊様がそれを許していないからです。この個所を違う読み方で捉えようと試みましたが、無駄でした。イエス様が私たちの罪のために死なれたからこそ私たちは「愛」が何であるかが分かるのです。また、神様の愛が私たちの中にあるかどうかは私たちの取る行動によって表わされるのです。愛は神様の真実の中に有り、また、私たちの行動や身の回りの人たちに対する態度を通して表わされるのです。
イエス様は良きサマリア人の例え話の中で、問題は私たちの隣人が誰なのかではないとはっきり言っています。問題は、私たち自身が自分のすぐ近くにいる人たちに手を差し伸べることのできる隣人であるかどうかなのです。リビングで隣に座っている人、電車の中でとなりにいる人、教会でとなりにいる人、そして学校や会社でとなりにいる人—そう考えると、あなたの隣人というのは、具体的に顔や名前の浮かんでくる人たちであって、彼らは皆神様の愛を必要としているのです。私たちの世界は痛々しいほど憐れみが欠けているのです。
もし、あなたの心が神様の前で新たにされる必要があるとしたら、今がその時です。
 

3月2日 メッセージ

メッセージ 「これを行いなさい。そうすればいのちを得られます。」

2月23日のメッセージセルフチェック

“ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。” (ローマ 5:1,2)
ルカ 15:11-32/ 1 ヨハネ 1:5-10.

放蕩息子のたとえ話をイエス様は話されました。この話で表されるような愛を実際に体験することは非常に珍しいことでしょう。どんな過去の行動があったとしても父親は息子への愛の方がそれよりも勝ったのです。事実、放蕩息子が無駄にしてしまったのは「お金」というただの物質的なものではなかったのですから、彼自身が自分で返すことなどできるはずもなかったのです。父親が息子を可哀想に思う同情的な愛が、息子の間違った行いを完全に赦すことになった、ただそういうことなのです。犠牲を払って望む資格もない者に与えられる贈り物、そして贈り主は犠牲を払って贈っているのです。それが「恵み」と呼ばれるものです。神は恵みを与える究極の提供者であり、神の一人子の罪のせいではなく私たちの罪のために一人子イエスをいけにえとされました。
「はい、もうそれは知っています。」あなたはそう言うでしょう。でも、本当にあなたは知っているのでしょうか?
神とあなたの関係において、あなたは最近何の上に立っていますか?罪、罪悪、不義への後悔、そしてもう二度としないという決意、、、そういったものに私たちの多くは応答します。私たちは物事を解決しようとしたり、新しく立派なことを約束したりしますが、そのような努力だけでもう自分が既に犯してしまった罪悪を取り去ることはできないのです。
あなたは自分の努力の上に立っているのでしょうか?それとも神の恵みの上に立っているのでしょうか?

2月13日 メッセージ

メッセージ 「同情的な愛」

2月16日のメッセージセルフチェック


父は彼に言った。「おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」 (ルカ 15:31,32)

ルカの福音書 15:11-31.
ここに出て来るある息子の話。父から離れ、家から離れ、豚と一緒に泥まみれになり、彼はやっと我に返る。全てを浪費した後、父のもとを去ってしまう前は必要なものを全て持っていたことにやっと気付くのです。また、天に対して罪を犯したことに気付き、悔い改めの道、家路へと向かいます。そんなところへ行ったことがありますか?それがどんな気持ちだかを覚えていますか?
息子が家に帰り、父との再会の時に示された父の情け深い愛より素晴らしいものはありません。天も、そして畑のもの全てもがいなくなってしまった息子が帰ってきたことを祝いました。一日中祝いは続きましたが、それは父の無条件の愛によるものであり、父のその愛だけがその息子をそこにとどまらせるのです。

何があなたを畑にとどまらせますか?
あなたは常に父から祝いの音を必要とし、情け深く哀れみ深く恵み深い神の愛を楽しみ喜ぶために、自分が家にいることを神が自分に思い出させなければならないのでしょうか?
一番良い着物と心地よい靴、そしてあなたが家にいることを示す指輪を喜び、神の家族の中で生きていることを自ら喜ぶべきです。

2月16日 メッセージ

メッセージ: 「我に返る」

2月9日のメッセージセルフチェック

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 (1ヨハネの手紙 4:7)

ヨハネの福音書 3:16/ I コリント人への手紙 13:4-8.
神を愛することを学ぶ前に、愛は神から始まるのだということを理解する必要があります。まず神が私達を愛し、神の一人子を通して愛は完了されました。 神や人を愛することを考える時、私達は時々どこかで自分の好きなものだけ選り好みすることがあります。 しかし、神において、そして神のあなたと私への無条件の愛においては、それは真実ではありません。この真実を私達自身が見えなくして、何かを「する」とか「しない」とかというリストを用いて複雑にし 、真実を私達自身が隠してしまいます。そしてその過程において、それらが私達自身の重荷となってしまいます。
パウロは自分を取り囲むことができるのはキリストの愛だけだと言いました。(2コリント人への手紙5:14)
究極の土台であり、驚くばかりにシンプルです。
イエスと共に歩く時、あなたを取り囲むものは何ですか?
それは神の無条件のあいですか?それとも他の何かでしょうか?
本当の自由や喜びを私達に与えようとして神が備えてくださった、神と あなたのあるべき愛の関係に立ち戻りましょう。

2月9日 メッセージ

メッセージ 「それは神から始まる」

2月2日のメッセージセルフチェック

イエスは答えられた。「一番たいせつなのは、これです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は唯一の主である。』」 (マルコの福音書 12:29)

全ての命令の中で、どれが最も大切なものかという質問に対してイエス様はその答えに答える前に、この言葉をまず世界の土台である真実として語っています。『われらの神である主は唯一の主である。』と。
そこに居る者に対して、イエス様は世界に神である主は一つだけだということを、決して間違えることのないように宣言しています。
「神である主」を、心を尽くし、知性を尽くし、力を尽くして愛することがどういうことなのかを学ぶ前に、神である主は唯一の主であるということを理解する必要があります。
そんなことは当たり前だとあなたは思うかもしれません。しかし、本当にあなたの心と知性と魂と力は神様のものだと言えますか?
あなたの心、あなたの知性(思考)、あなたの魂、あなたの力、この4つの部分についてよく考えてみましょう。それらは全て神様のものでしょうか?ばらばらに分割されたり一部だけが神様のものになっていたりしていないでしょうか?
あなたの情熱や注目やエネルギーは一、一体何に捕らえられているのですか?

2月2日 メッセージ

メッセージ 「最も大事な命令」

1月26日のメッセージセルフチェック

“それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。” (エペソ 4:12,13)
 

使徒の働き 1, 2/ エペソ 1:15-23/ エペソ 4:11-16.
 

最初のころのクリスチャンたちのことを考えると、彼らは神の言葉、交わり、食事を共にすること、祈り、それらにその身を捧げていたのがわかります。彼らは必要としている者には与え、食事を共にすることに多くの時間を費やしていました。それらの時間を喜びの心と誠実な心を持って行い、主を本当に心からあがめていました。そして、神の奇跡を体験し、神に対する畏敬の念で満たされていました。言葉で聞くと、これらはとても楽しそうに聞こえます。しかし、それらのことは全てある目的のために行われていました。それらのことは全て、神を信じる人を整え、神と共に生きる素晴らしい人生を生きることができるようにし、神の目的をこの地上で行うためです。
教会が存在する目的は何でしょうか?それは、私たちが、自分が自分の人生を貪欲に生きるためではなく「キリストの満ち満ちた身たけにまで達するため」です。

1月26日 メッセージ

メッセージ 「満ち満ちたみたけ」

1月19日のメッセージセルフチェック

そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」 (イザヤ書 29:13,14) 

イザヤ書では、人は自らの中で神とは誰なのかという点において、そして神を賛美するという点において、その見方を逆さにしてしまったと主は言っている、と続きます。神の計り知れなさへの驚き、畏敬、愛、情熱、尊敬、謙虚さ、そのようなものを神は望んでおられるが、その神への 賛美は形式、義務、日課的なものとなっていたのです。彼らの心は実は神から離れ、離れていることが彼らの神への視点を大きく誤らせました。彼らの目に神は非常に小さいものとなったのです。 失礼だと感じてしまう人もいるかもしれません。しかし、時に、私達人間こそが神に対して失礼なのではないでしょうか?あなたの中での神は何者なのかという理解が逆さになっていないでしょうか?あなたの心は今どこにありますか?神の計り知れなさに圧倒的に驚く心を持つための時を持ちましょう。そして、どんなに神の素晴らしさを想像してみても、それより遥かに素晴らしい主を賛美し始めましょう。私達の主イエス・キリストへの真の賛美は、あなたの視点に現実を運び入れます。神は大きいのです。

1月12日のメッセージセルフチェック

あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。(詩篇8:3、4)

詩篇8、マルコ6:51、52
神の御手が働かれていることに気付いたのはいつのことですか?
自分が想像するより遥かに神は大きい方だということに気付いたのはいつのことですか?
そのことをあなたに気付かせたのはどんな出来事でしたか?
・・・これを思い出すのになぜそんなに時間が掛かるのでしょうか?
ダビデ王が気付きました。神の働きについて思いめぐらすために立ち止まり考える。すると、人にとって神をたたえ賛美することは至極自然なこととなり、神の働きに気付かずにいることは少なくなるでしょう。心を冷たくかたくななものにする引き金となり得るこの世の肉的な様々な問題ばかりに気を取られすぎることなく、神が働いてくださっている様々なことに気を取られる者となる方がずっと良いでしょう。

1月12日 メッセージ

メッセージ 「見るために賛美する」(約61分)

1月5日のメッセージセルフチェック

そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。(マタイ 14:33) 

弟子達は、イエスが水の上を歩き、嵐を静めた奇跡を目撃し、その後心落ち着けてずぶ濡れのペテロと共に揺れない舟の上で、全く濡れていないイエスと共に座っています。何時間も前に岸の向こう側にいた時のイエスの姿とはとても違うようです。 弟子達はイエスを拝み始め、イエスこそが神の子であることを認識しました。 

何があなたにイエスを拝ませるでしょうか?そして、あなたがイエスを讃えることは、どんな風に表現されるでしょう?(例えば:「全く讃える気がしない」「いつもどんな時もイエスを讃えている」「礼拝の時しかイエスを讃えない」「良いことがあった時しかイエスを讃えない」「どんな困難な時にもイエスを讃えている」等々・・・

2013年1月5日 メッセージ

メッセージ 「集中することを学ぶ」(約48分)

12月29日 メッセージ

メッセージ 「希望の中で、飛ぶ、走る、歩く」(約45分)